赤塚不二夫先生と酒について。やめるか減らすのが唯一の選択肢

一九六〇年(昭和三十五年)生まれの私たち世代というのは、物心つく前からどこの家庭にもテレビがあった最初の世代のうちだったといえるかもしれません。

「いよいよ我が家にもテレビが来た!」という記憶はなく、テレビのある家に遊びにいって見せてもらったという経験もなく、どこの家にもテレビがあったんです。

まだ白黒が普通という時代ではありましたが、『鉄腕アトム』『エイトマン』などのアニメや、『てなもんや三度笠』『シャボン玉ホリデー』などのバラエティ番組も白黒で見ていました。

そんな中でも、私が一番夢中になったのは、藤子不二雄先生の『おばけのQ太郎』や『パーマン』と、赤塚不二夫先生の『おそ松くん』や『天才バカボン』、そして『もーれつア太郎』でした。

『もーれつア太郎』は、小学校三年生のころから始まった番組で、主人公のア太郎よりも、脇役だったニャロメ、ケムンパス、べしなどの人間ではないキャラクターに夢中になっていた記憶があります。

一九七〇年には大阪万博が開催されましたが、連れて行ってもらう前から『ニャロメの万博びっくり案内』という本を買ってもらって予習をしたものでした。

赤塚不二夫先生という人は、一九六〇年代にはすでにギャグ漫画で頂点をきわめていて、一九七〇年代になってからも少年漫画雑誌に連載を続けていましたが、その後大きなスランプに陥ります。原因のひとつには、酒量のことがあったようです。実際、ご自身でもアル中であることを認めておられたようです。

私たち人間は、「感情を込めて人と接する理知的な人」というのを高く評価しますが、理知的かつ感情が豊でありさえすれば、アルコールに溺れることまでも「人間らしさ」と歓迎してしまう傾向もあるようです。

酒は飲んでも飲まれるなとわかっているにもかかわらず、知的で感情豊でさえいれば、いくらでも飲んでも「これでいいのだ!」という風潮があるんです。

そのようにして、今日もまた、偉大な知性が酒で命を縮めています。

赤塚先生に実際にお会いしたのは、武蔵野美大の学生時代、有志のグループが先生を招いて、「赤塚不二夫先生を囲む会」を開いた時でした。山本晋也監督とポルノ映画まで作ってしまったという、すでに何をやらかすかわからない人になっていたころのことです。

赤塚先生にはその作品に夢中になることで小さいころから深くお世話になってきていたので、私も是非お話しを聞きたいと思って参加させてもらいました。

その時の先生のお話の中でよく憶えているのは
「うちにはいろんなやつが寝泊まりしてる。酒はいくらでもあるし、食べ物にも困らない。君たちも遠慮なく遊びにきてくれ」
という言葉でした。

「タモリなんかもずっとうちに居候してたんだよ」
その話はすでに有名だったのでみんなが知っていましたが、私たち初対面の学生にまで遊びに来いと言ってしまえる赤塚先生の豪快さには驚かされました。
ギャグ漫画の大天才は、本業がいくらスランプになっても、やっぱり神さまのような存在だったわけです。

我が母校武蔵野美大の大先輩だった水木しげる先生も神さまのよう存在でした。戦地で片腕を失うという悲劇にも見舞われ地獄から生還されて、戦後は紙芝居や貸本漫画で細々とやってこられるうちに鬼太郎で人気作家となられ、自らの戦争体験を詳細な漫画にすることにも力を注がれました。

六十歳であまりに早く他界してしまわれた手塚治虫先生や石森章太郎先生の睡眠不足を嘆き、水木先生は毎日十時間という睡眠時間を心がけてこられ、仕事もマイペースを守り、それがご長寿の秘訣となったようです。

私も再来年は六十になりますが、これまでの人生で大勢の方を見てきた限りでは、早死にしてしまう人に共通の原因というのがいくつかありそうに思えてなりません。

  • 毎晩お酒で酔うこと
  • 毎日睡眠時間が短いまま忙しく働くこと
  • 甘いものや炭水化物が好きで太っていること
  • 毎日牛乳をたくさん飲むなど偏食になっていること

このような原因を思わずにはいられないのですが、若いころにはいくらでも無理がききます。それを無理とも思わず、それが当たり前になってしまっていると、そのままの生活習慣で年令を重ねて、いわゆる「ガタが来る」ということが顕著になってきて、寿命が六十年から七十年ぐらいで終わってしまうようです。

もちろん、遺伝的に癌になりやすいとか、もともと体力が弱いという人もいますが、もし自分が悪い生活習慣を続けているのだとしたら、是非とも直してほしいものだと思います。

毎晩お酒を飲むという習慣のない私も、若いころ一時期はほぼ毎晩のようにビールなど飲んでいたことがあります。毎晩飲めば酒量は確実に増えます。アルコールという薬物に対する耐性向上が原因です。飲みなれてくると同じ量ではものたりなくなるんです。

赤塚先生もおそらく、ものすごい量の薬物=アルコールを毎日欠かさず摂取してこられたんだろうと思います。

酒飲みには言い訳というものが際限なくあるものです。赤塚先生ももしかすると「毎日酔っ払わないとあんな傑作漫画は描けなかった」と言われたかもしれません。「酒が傑作を生み、酒が漫画家赤塚不二夫を生んだのだ」というような論理です。

そんな論理をまったくのデタラメだと言うつもりもありませんが、「酒 “だけ” が傑作のアイデアを生み出した」ということではないはずです。

「酒の助けを借りた」というのはきっと事実なんだろうと思いますが、「そこで酒が何の役に立ったのか?」といえば、普通の人間の限界を超えて仕事を続ける上での「ストレスの解消」でしょう。

ストレスが蓄積していけば、仕事ができなくなります。仕事を続けるには、ストレスの問題を解決する必要があります。それは間違いないことです。

そこで最も手軽に解消する方法として、アルコールという薬物があるわけですが、その薬物が「唯一の解消方法」だったかというと、決してそんなことはないはずです。

漫画の大作を描いて傑作を生み出すという仕事は、ごく一部の限られた人にしかできない偉業です。その偉業を確実なものにしていくためには、脳の中で、ふたつの条件を満たしてやることが必要になります。

ひとつは、前頭前野が最高の仕事をすること。前頭前野は意識の中枢であり、仕事について、理性的、論理的に、優れた計画を立て、それを実行していく機能をもちます。ただし、薬物で酩酊状態になっていると、この機能は十分に発揮できないように思われます。

もうひとつが、扁桃体が最高の気分を維持すること。前頭前野が計画を立ててそれを実行していって、最高の仕事を成し遂げるためには、仕事中に最高の気分を維持しなければなりません。

扁桃体は情動の中枢で、怒り、イライラ、イヤな気分、興奮、感動などの中枢ですから、扁桃体がイヤな気分になっていると、大変な仕事をやろうと思ってもさっぱり捗りません。仕事が楽しく進捗するためには、扁桃体が最高の気分であり続けることが望ましいというわけです。

それにはアルコールという薬物が一番だという人は少なくありません。悪酔いすることがなく、酔えばご機嫌という人なら、アルコールほど手軽な薬物もないからです。

それで「最高の作品を描こう」というモチベーションが維持できるのだとしたら、また同時に、この薬物がないことにはモチベーションが維持できないよということだとしたら、アルコールという薬物は合法的に摂取できますから、飲まないという選択肢などあり得ないということになるんです。

海外のミュージシャンや俳優など、やはり芸術的な仕事をしている人たちを見てくると、合法的なアルコールに限らず、マリファナやコカイン、さらにはヘロインなど、非合法の薬物の力を借りるというケースも少なくないようです。

また、スポーツの世界ではドーピング問題があります。競技に参加する選手に禁じられている薬物というのは、筋肉を増強するためのものや、気分を高揚させるためのものがあるようですが、もとから薬物なしで自分を最高の状態にすることが課せられている選手たちが、さらにその上を目ざしてライバルに勝利したいということになると、薬に手を出してそれが成し遂げたくなるのは当たり前のことでしょう。

自転車ロードレースのランス・アームストロング選手などは、「禁止薬物を摂取しない」という選択肢はすでに持たず、「薬物を摂取しても検査で発覚しないための最高の技術」というものを選択してきたそうですが、そこまでやったのはなぜかといえば、選手個人がただ勝ちたかったからというレベルの話ではなくて、チームやスポンサーなど、莫大なお金が動くビッグビジネスを成り立たせ、それを持続させるためだったとも言えます。ビジネスにリスクはつきものですからね。

アルコールも薬物ですが、合法ですし、ドーピング検査にも引っかかりません。

アルコールという薬物は、世界中の文化と産業と経済を支えています。歴史的な場面でも、この薬物が必要不可欠な脇役として重宝されてきています。

しかしこの薬物も、飲む人の健康にとって「百害あって一利なし」です。「百薬の長」なんていう迷信じみた言葉がもてはやされたのも、飲ん兵衛や酒造メーカーによる「自己正当化」という性質のものだと思います。

もちろん、アルコールによる健康被害には、個人差があります。

たった一滴で倒れる人もいる一方で、一瓶飲んでも顔色ひとつ変えない人もいます。しかしそれがそのまま健康被害の程度を表すかというとそうともいえなくて、むしろ自他ともに「酒に強い」と思われれているような人ほど危ないということもあります。

近所で親しくしてきた今西さんという男性は、毎晩浴びるように飲んで、昼間は黙々と仕事して休むこともなく、七十歳まで生きたところで「ピンピンコロリ」とばかりに散歩中に急逝してしまいました。それを理想の人生と見ることには、私も異論はありません。ごく身近なところでそんな人生を見せられてしまったら、今西さんの幸福や人生の充実には酒が欠かせなかったんだなあと認めるしかないからです。

もし大酒飲みのみんながみんな、今西さんのようになれるということなら、どうぞ毎晩たくさん召し上がってくださいということになりますが、いくらそんな理想的な人生があったからといって、万人がそうなれるという保証などどこにもありません。

現実には、多くの人が晩年を病院で過ごします。元気に働いていたころにだって、酒を飲み続けるためには莫大なお金がかかりますから、家計にもつらいでしょうし、酔ったお父さんや酔ったお母さんがみんなからとても好かれたというケースだって、そう多くはないでしょう。

本当にアルコールは必要なのか?

この問題は、アルコールという薬物を摂取する個人の人生の問題であると同時に、その個人を支える家族など、身近な人々の問題です。

そして最後にもう一度、しっかりと考えたいのは、「アルコールなどの薬物に代わる手段はないのか?」という問題です。

赤塚不二夫先生が傑作を生み出すためには、本当にアルコールという手段しかなかったんでしょうか?

「飲みニケーション」と同じぐらい質の高いコミュニケーションは、アルコール抜きでは本当に不可能なんでしょうか?

以上の問題は、いずれも「No」というのが答えになるはずです。

ただ単に、アルコールなどの薬物は最も手軽だから、その手段として選択されているに過ぎないということでしょう。

個人差がとても大きいながら、アルコールに限らずあらゆる薬物は有害です。人によっては有害とはいえないケースもありますが、その害をなくしていくためには、そうした薬物を一切やめてしまうという選択肢と、もうひとつ、摂取量を減らしていくという選択肢がありそうです。

少なくとも、毎日たくさん摂取するとか、摂取量を増やすといった選択肢だけは、絶対にあり得ないんじゃないでしょうか。

そして、「アルコールなどの薬物に代わる手段」として、今また最も注目されているのが、瞑想などのメンタルトレーニングです。

マインドフルネスについては、まずその考え方だけでも学ぶ価値があります。現に今、アップル社、グーグル社、マイクロソフト社など、時価総額で世界一を競うような大企業が、マインドフルネスを積極的に採用しています。

自分のメンタルをより正常にし、強くしようと努力する姿と、アルコールで酔っ払う姿というのを想像してみるだけでも、マインドフルネスの素晴らしさというのが容易にわかるんじゃないでしょうか。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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