相手を怒らせないための考え方

アンガーマネジメントというのは、もっぱら自分の感情についてなんとかしようというものですが、「そもそも相手の方がすぐに怒ってしまうからどうにもならないんです」というケースもあります。悩ましいですね。

もう二十年ちかく昔のことになりますが、私もそのどうにもならない状態におかれてしまったことがあります。最初の結婚をして二人の子供がいたんですが、子どもたちの母親が “心ここになし” という状態になり、なにはともあれ離婚しろといって譲らなくなってしまい、こちらが何を言おうとすべて怒って荒れ狂うという、今思い出しても二度とあんな日々を送りたくないという最悪の状況でした。

子どもたちはまだ幼かったのですが、母親が怖くて近寄りたがらなかったので、いつも私の部屋にいて寝起きしたり一緒に遊んだりしていました。

ある日から、その母親が「東京に住みたい」というようになったので、もともと父子家庭状態でしたから、是非どうぞとばかりに一人で出ていってもらいました。その時決めた私の方針としては、とにかく相手の強い意向に逆らわないということで徹底することにして、何年かかってもいいから嵐が過ぎ去るのを待つことにしたんです。自分のことはともかく、そうしないと子どもたちがあまりにかわいそうだったからです。

ところが、それで嵐は過ぎたかというと、残念ながら、好きな人がいる、子供の親権も要らないから離婚したいというのでそれに応じました。保育園の先生方からはその後「お子さん明るくなりましたね」と言われましたから、どうやら離婚が最善の選択だったということになります。

子供のために良いことは、父親である自分にも良いことです。子供を不幸に陥れてまで親がわがままを通すなんていう頑固さが私にはなかったからですが、今改めて考えてみても、やはり離婚という選択は正しかったと思います。

例えばもし私が世間体を気にするなどして「離婚だけは絶対にしない」と譲らなかったとしたらどうなっていたでしょう。

一方は「何がなんでもそうする」といい、他方は「何がどうなろうとそうはしない」と真っ向から反対するということですと、それぞれが持っている強大なベクトルが激しく衝突することになってしまいます。生じた憎悪は日増しに増大していき、取り返しのつかない事態を招くかもしれません。

人間関係というのは、理解しあうことと共に、同じベクトルを共有すること、つまり “共感” することが大切です。

「共感なんてしなくても、リクツの上で正しければそれでいいんだよ」というような考え方は幸福をもたらしません。

それには脳の性質の問題というのがあって、原始的な反応をする扁桃体が穏やかになってくれないことには、理性的な働きをする前頭前野がいくらがんばっても報酬系は活性化してくれないからです。

扁桃体というのは、脳の中心に近いところにあります。情動の中枢といわれる働きをしていて、何がなんでも自分を守りたいという衝動のもとになっています。

それに対して前頭前野というのは、人類が動物として進化してくるに従って大きくなってきた部分で、意識の中枢といわれています。

「意識と情動だったら意識の方が強いはずでは?」と思ってしまうかもしれませんが、現実には逆だということがほとんどで、情動が大きく揺らいで収まりがつかなくなってしまった状態になると、意識は自分の思い通りにならなくなってしまうんです。この状態のことを私は「意識を持っていかれる」とか「意識を失っている」というように考えて理解することにしています。

これは誰でも経験していることですが、相手に対する怒りに震えた状態で相手のことを優先して気づかうなんてことがいかに難しいかという話です。

もし意識が真に独立していて、常に自分の思い通りに意識することができるのだとしたら、情動がどう荒れ狂っていても平然としていられるはずですが、現実にはなかなかそうはいかないということです。

そこで平静さをすぐに取り戻して静かに微笑んで満ち足りた心に戻れるという人がもしいたら、その人は悟りを開いたお釈迦様のような人でしょう。仏教やマインドフルネスやヨガが目ざすのはそのような完成された人格なんですけれども、なかなかそこまでたどり着けないからこそ、今も世界中で仏教やヨガがもてはやされているわけです。

つまりどういうことかといえば、普通の人間には、情動から常に完全に独立した意識など持てないということです。

じゃあどうするのが手っ取り早いかというと、情動そのものが良くなる道というものを選択しましょうということです。

怒りに震えた扁桃体を、怒りではなく、安心に変えてやるということ。そのためにどうしたらいいかということを考えて、あらゆる選択肢から一番良いものを選んで実行するということです。

「何がなんでも離婚しないことには腹の虫が治まらないから、離婚してくれないならこのままずっと精神的に危害を加えてやるゾ!」

そう息巻いている人にも “安心” を与えてやるしかないということです。
そしてこちら側としても、そうすることでしか “安心” は得られないということです。

最悪の状態に陥っているとわかったら、まずは “安心” に戻りましょう。戻るための最善の選択を見つけましょう。

これは必ずしも「離婚」の問題に限った話ではなくて、どんな問題であっても、相手と完全に衝突してしまってにっちもさっちもいかない状態になっているときには、互いのベクトルを衝突させない方策を取って安心に戻るしかないだろうということです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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