怒りを持続・増幅させるNG思考

 ハラスメントをなくしたい。

 いじめをなくしたい。

 ストーカー被害をなくしたい。

 これら問題を根本から解決するには、「加害者」となる人が自ら陥っているNG思考に自分から気づくということが何よりも肝心です。

 「今自分を突き動かしている衝動の元は、このNG思考だったんだ!」

 そう気づけばいいのです。それがNG思考であることに気づいて、その思考を捨ててしまえばいいのです。

 では、そのNG思考とは、具体的にどんな思考なのか? 例をあげて見ておきます。

 吉田さん(架空の人物名)は勤続十五年のベテラン社員で、会社でも能力が高いことで一定の評価をされている人です。
 向上心もあって自分の仕事に厳しく、効率よく最善の仕事をするということに生きがいとプライドをもっています。
 しかしそれを人にも求めてしまいます。特に後輩に対して厳しい見方をしていて、後輩が部長と談笑しているような場面に出会うと、それが気に入りません。
 あんな無能なやつが部長に取り入ろうとしている。不快だ。そう感じるのです。
 その不快な思いは、ぶつけるともなく後輩に向かいます。特にはっきりと言うわけではありませんが、後輩の仕事を見て、バカにした態度が出てしまうのです。「こいついまだにこのレベルなのか?」と、言葉には出しませんが、そんな不機嫌な感情は後輩にもしっかり伝わっています。
 吉田さんの能力は認めている後輩も、吉田さんから毎日発せられてくる不機嫌な態度、不愉快そうな表情を毎日浴びて仕事をしなければならないわけです。
 ある日その後輩が吉田さんにこう言いました。
 「吉田さん、ぼくも一応十年がんばってきています。まだまだ吉田さんのレベルには届かないと思いますけど、毎日不愉快そうにされてばかりいると、仕事へのモチベーションが下がってしまうこともあるんですよ」
 後輩のこの言葉が正論だったので、吉田さんは今までになく頭に来てしまいました。
 吉田さんは後輩の言葉を無視するかのように何も言わず、内心は後輩を殴ってやりたいという衝動に襲われていたのです。
 吉田さんによる後輩へのハラスメントが始まったのはそのころからでした。
 自分がこなせる限界となる仕事量を後輩にもできるはずだからといって強く要求するようになったのです。後輩が要求された仕事量をこなせないとわかっていても、吉田さんはかまわず要求するようになりました。
 「吉田さんにはできても、ぼくには無理です」と後輩が言うと、
 「そんな泣き言、言っていいの? じゃあそれをこなしてる俺ってなんなの?」と返します。
 それには答えられない後輩を見て、
 「やるしかないんだよ。男だろ?」と言います。
 その後輩は1か月後、鬱になってしまい、会社を辞めたそうです。

 吉田さんの中にあったNG思考とは、「後輩が悪い」と考える「ワルイ思考」です。

 ワルイ思考というは、当教室独自の講座で使っている用語ですが、怒りやイライラの原因が相手にあるという前提に立って、「悪いのは相手であって自分ではない」という自己の判断を絶対のものと信じ込んでいて、それがさらに自分の怒りやイライラを増幅させる原因になっているという、これはもう自分でいち早く自覚して自分でストップをかけないとどんどんエスカレートしてしまうという厄介な思考です。

 本人は「自分が正しい、相手が悪い」と思い込んでいます。

 あるいは、「自分も悪いかもしれないけど、相手はもっと悪い」と思い込んでいます。

 どちらの思い込みも同じです。同じように自分を苦しめ、相手を追い詰めます。

 ストーカー犯人も、これとまったく同じ思考をしています。

 ハラスメントやいじめの加害者も同じ思考です。

 どちらも「相手の悪いところ」ばかりを意識し、それを拡大し、強調して、相手に「相手自身が悪いということに気づかせてやろう。そのための自分の言動は正しい言動であって、正しくないのは相手なのだから」という衝動によって突き進んでしまうのです。

 「正しい/正しくない」という判断の基準自体が実は最初から狂っているということに、加害者はまったく気づいていません。
 加害者は「自分は正しい」あるいは「相手の方が悪い」としか考えられなくなっているのです。
 それによって怒りが増幅し、相手を憎悪します。

 相手を憎悪することさえも「正しいこと」と信じてしまうのです。

 そんなことにならないようにするにはどうしたらいいか、その答として一定の有効性があると考えられるのが、「ワルイ思考」に自分で気づくということです。

 そもそも「相手が悪い」「自分も悪いかもしれないが相手はもっと悪い」という、その考え方「ワルイ思考」自体が、最悪の事態を招く根本的な原因なのです。

 ワルイ思考というNG思考に、ただ気づくだけで事態は変わります。

 それまで自分が囚われてきた「良い/悪い」の基準が、実はさほど重要ではなく、ワルイ思考をするというそのこと自体にこそ、自分を苦しめ、相手を追い詰める根本的な原因があるということに気づくのです。

 私たち人間は、間違いを犯す生き物です。

 人間であれば、誰一人として例外はいないはずです。

 相手の犯した間違いを徹底的に糾弾するという資格を、私たちは持っていません。

 ただもちろん、相手のその間違いによって、周囲の人々や社会、あるいは相手の家族や相手自身が大きな不幸に陥るということがわかっているような場合には、自分一人の力ではなく、身近な人々と一緒になって相手を助けるための行動を起こすなり、さらには法的な手段に訴えるなり、なすべき対応の仕方というのがありますから、相手の間違いの全てを許すべきだなどとはいえません。

 問題は、自分ひとりの要求に従わない相手を「悪い」と判断することです。

 ワルイ思考について、以上のようなことになりますが、ご理解いただけるでしょうか?

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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