心が病むのはムダが少ないからです。

「非効率だ」とか「ムダなことばかりして」とか「要領が悪いんだよ」とか、そんなことを言われてきた人は少なくないと思います。

「効率化」とか「ムダがない」ということが、さも最優先で必要なことであり、仕事をする上での必須条件だったと、そんなふうに考える時代は、もう終わりました。

よく例にあげられるのが、アメリカの Google社。

プログラマーの個室などには、遊び道具が好きなだけ持ち込まれていて、仕事してるんだか、遊んでるんだかわからないという様子なんだそうですが、実は、それこそが、仕事の能率を上げてくれる、働く人の脳のコンディションを最良にしてくれるんです。

「DMN」といいます。

「デフォルト・モード・ネットワーク」の略です。

何のことかといえば、脳の特定の部位だけでなく、むしろ脳全体が連携して、理想的な状態になるということです。

その状態になると、私たちは離れて暮らす親兄弟を思ったり、友だちを思ったり、または、一生懸命に考えても思いつかなかった素晴らしいアイデアがひらめいたりするんです。

その状態をどうやって作り出すかというと、「ムダなこと」をするんです。

一生懸命に考え続けたり、体を使って働き続けたりすることは、仕事や考えの効率をどんどん下げてしまいます。

「集中」が「オン」の状態のまま、いくら仕事や考えを続けてもダメなんです。

どこかで適度に集中を「オフ」にする必要があります。

「オフ」になっている状態が「DMN」=「デフォルト・モード・ネットワーク」です。

当教室の「アンガーマネジメント基礎講座」では、職員研修でお招きいただくことが多いのですが、その中で、昔と今を比較して、昔はどうして「ハラスメント」がなかったのか? どうして精神疾患が少なかったのか? ということを考えるんですが、昔と今の一番の違いというのが、「人間関係におけるムダなこと」だと考えられます。

昔は、家族、職場、隣近所が、対人関係のほとんどを占めていましたから、身近な人たちと付き合って暮らすしかなかったんです。そこでケンカしたり、仲直りしたりして生きていました。だから、効率なんことよりも、いかに面白おかしく付き合えるかということが優先で、たとえば30年以上も前には、職場の上司や先輩の家におじゃまするということがあったんですが、30年以上働いてきた世代では、職場の部下や後輩を自分の家に招くということがほとんどなくなってしまいました。

そんなことはムダだ。必要ないことだ。と、知らずしらずにそう考えるようになってしまったのかもしれません。

ムダが少ないほど、疲弊します。

ムダが少ないほど、ストレスは大きくなります。

ムダが少なければ少ないほど、心が病んでしまいやすくなります。

たとえば「喫煙所コミュニケーション」というのがありますが、あのムダな時間こそが、心を健康にします。

タバコはどうしてもダメだという風潮で逆らえないのだとしたら、「お茶飲みコミュニケーション」をやるべきです。

職場の自分の机などで、一人でお茶を飲むことをやめて、お茶を飲むときは「お茶飲みコーナー」のようなところで集まって、みんなで一緒にお茶を飲むようにするんです。

そのようなムダがあってこそ、私たちは人間らしく生きることができます。

ムダがなくなればなくなるほど、私たちは病気になるんです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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