ストーカー、対立、結論の相違と勘違い

ストーカー行為をする人は、相手と「話がしたい」ということが多いかと思いますが、「話」というのは要するに「一方的な要求」で、その「要求」が「正当なものである」と、これもまた一方的な自己正当化をしていることが多いようです。

自分の欲求が満たせない、これは単なる欲求ではなく、自分に正当な理由がある、相手も自分との関係が大事であるはずだ‥‥など、どこまでも一方的に「自分は正しい」と思い込んでいますから、その思い込みを正すことさえできれば、ストーカー行為も終わるのですが、「今までの自分の思い込みは間違っていた」と気づくのは容易なことではありません。

被害者の側からすれば、ストーカーから身を守る必要がありますから、警察に通報するなどしかるべき手続きが必要ですが、対応する警察の側がいくら厳しく注意、警告したところで、ストーカーがまた自由になってしまえば、今度はストーカーの方に間違った被害者意識が出てきて事態がさらに悪化してしまうこともあります。

どこまで行っても「自分は正しい」「自分は間違っていない」「相手が悪い」「相手が間違っている」‥‥と、「正しい/悪い」という「正邪の結論」が変わらないこと、それを変えるのはとても困難なことだということを認識しておかなかればならないと思います。

私たちの脳は、結論が大好きです。

小学校のPTAのお母さんグループを例にして考えてみます。

ある日隣県から転校生が来て、そのお母さんがお母さんグループに「今度藤沢の方から越してきました高橋と申します。よろしくお願いいたします」と、笑顔で丁寧に挨拶したとしましょう。

お母さんグループの何人かはその転校生のお母さんに良い印象をもったらしく、「感じのいい人よね」などと話していたんですが、そこに親分格のお母さんがぼそっと一言「あの人、気をつけた方がいいと思うよ」と、自分の「結論」をグループのお母さんたちに告げます。親分格で人を見る目が厳しい彼女が言うんだから、きっとそうなんだろうと「感じのいい人」という結論に自信があったわけでもないお母さんたちは、ここで親分格からより信頼すべき結論をもらうことになります。「気をつけた方がいい」というのだから、きっと歓迎すべき相手ではない、どこかに何か危険なものをもっているんだろう‥‥という結論になってしまい、「そういえばあのマニキュア見た?」「うん、ちょっと違和感あるわねぇ」とか、「言葉は丁寧だし笑顔を見せてくるけど後ろ暗いものがあるようにも感じるわね」「うん、そういえばそんな感じ」‥‥というように、親分格の「気をつけた方がいい」がグループ全員の結論になってしまいます。その結論に反して「なに言ってんの、いい人だわよ」などと真っ向から意見が言える空気がそもそもありませんから、別の見方が仮にできたとしても、誰もがそれを引っ込めて隠してしまいます。

このように、「あの人、気をつけた方がいいと思うよ」という結論は親分格のお母さんから出た結論であり、親分格だけに一定の信頼もされている人で人望がありますから、それと対決してグループから爪弾きにされる危険を冒す勇気など持ち合わせていません。だから「気をつけた方がいい」をグループ全員が自分にとってもそれを結論ということにしてしまうわけです。

「本当はどんな人だろう?」「誰にでも良いところと悪いところがある」「誰に対しても公平に見て付き合うべきだ」という考え方で接するのが本来あるべき人付き合いではありますが、「気をつけた方がいい」という極めて単純でわかりやすい結論に太刀打ちできるものではありませんから、「気をつけた方がいい」を自分にとっても結論にしてしまった方が、自分がグループで対立してしまうという望ましくない方向に向かってしまうよりはよほど安全でわかりやすい結論、つまり他のどんな評価・結論よりも魅力的で絶対的な結論を手に入れ、その結論によって自分が安泰でいられるわけです。

普通なら、様々な情報を可能な限り集め、総合的に判断して、その人の良いところ、苦手なところ、不器用なところなどを正しく知った上で、結論や正邪の判断に至るべきでしょう。

しかし現実には、私たちの脳というのは、そんな面倒くさいことに取り組もうとは滅多に考えません。

信頼できる人が出してくれた結論ほどありがたいものはないのです。

つまり人間関係の対立や反目というものは、互いにぶつかってしまう異なる結論をそれぞれに大事にしていることによって生じてしまうものなんですね。

関係改善を阻害している結論が何なのか、その結論はしかるべきプロセスなしに即決した結論ではなかったか、といったことを改めて考え直す、自分を支配してきた結論を見直してみるということが望まれます。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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