ウイルスもワクチンも政治。

新型コロナウイルスとその「ワクチン」の話です。

実を言うと、昨年の7月ごろから、これについて疑問を持つようになり、いろいろと調べ続けてきました。

まず、はっきりしている事実はこの2つです:

  1. 新型コロナウイルス(正式名 SARS-Cov-2)はどれなのか、まだ特定されていない。
  2. mRNAワクチン(ファイザー、モデルナ、アストラゼネカによるワクチン)は、2023年5月まで世界で治験中であり、まだ正式には承認されていない。

(以上は厚生労働省や製薬大手など、あらゆる専門機関と企業が認めている正真正銘の事実です)

1について:
 「特定されていない」というのは、「単離されていない」ということ。「そのウイルス単体はこれのことです」と特定されたことがない。そういう論文がまだないということです。

2について:
 ワクチンの接種券に同封されてくる「説明書」をよく読むと、これはあくまでも希望者に摂取するものであるということがはっきり書かれています。「希望」とはなにかといえば、「接種を希望する」ではなく、「治験に自主的に参加することを希望する」という意味です。
 承認されていないのになぜ接種させるのかというと、それは科学的に「安全だ」という確たる根拠を得たからではなく、政治的に接種を進めようという意図によるものです。接種が許されたのは、医学的にではなく、政治的に許されたのです。

テレビに「専門家」とされる人たちが出てきて、ワクチンは安全だと言っています。はなはだ無責任な発言ですが、そんな発言が許されてしまうのも、政治的に許されているからです。決して医学的に許されているからではありません。

医学(科学)なのか、政治なのか、という問題が根底にあります。それを取り違えると、ワクチンを誤解したまま接種してしまうことになります。

「1回めも2回めも、まったく問題なかったよ?」

という人も多いようです。ひどい副反応や副作用、さらには接種後の死亡まで、様々な重大事例が報告されていますが、多数派としては「問題ない」ということです。ほとんどの人は問題ないけど、接種して亡くなった人もいるということです。

若くて健康だった十代の子供も亡くなっています。明らかにワクチンが原因だと遺族は思っています。しかしなかなか認めてもらえないということは、医学的にというよりも、政治的に認めてもらえないと考えた方がわかりやすいでしょう。

ウイルスもワクチンも、政治が行っていることです。

パンデミックも、政治的に必要だったんでしょう。

「そういう政治だということはもう何十年も前から決められていた」という証拠もあります。国連とか、ダボス会議とかで、世界はその方向に進めなければならないと、ちゃんとした本に書かれたことがちゃんと残っているからです。

とにかくこれだけは、間違いのないようにしてほしいと思います。

ウイルスも、ワクチンも、パンデミックも、すべてが政治であるということ。医学でも科学でもないということです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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