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本当のマナーと敬語(2016/11/15)
最高の気分「ゴキゲン」の作り方(2016/06/30)
生かす意志(2014/08/27)
霊障のこと(2014/09/08)
怒りのカラクリ(2014/11/5)

本当のマナーと敬語(2016/11/15)

「敬語をしっかり遣うこと」 これが「何よりも大事」になっていませんか? 全てに敬語が最優先ですと、接客はなかなかうまくいかないことがあります。 敬語はもちろん大事。接客ですからそれは当然なでんですが・・・
この図のように、敬語とは、相手との距離を十分に取って物を言うことです。 言葉遣いによって、私たちは相手との距離の調節をしているのです。

図の一番右側は「命令形」ですが、これですと相手との距離は、ゼロか、 あるいはマイナスというくらいにくっついてぶつかってしまいます。

昔のことですが、日本語教師のある女性が「命令形で話す男性、私は許せない」 と言ったことがあります。男の人の命令口調が死ぬほど嫌いだと言うんです。 私はその日本語学校の教務主任だったんですが、彼女にこんな話をしました。

「雨の日に、あなたが彼氏とデートで食事に行ったとしましょう。 レストランまであと少しのところでけんかになってしまいました。 あなたは怒って彼を振り払い、彼の見えなくなったところで 雨宿りをしました。

寒くて、お腹が空いています。涙も出てきます。 つまらないことでけんかするんじゃなかったと思います。 そこへ 彼が温かい肉まんを持って現れました。 あなたに差し出してこう言います。

(1)食べてください。
(2)食べろよ。

どっちを言われた方がいいですか?」 という話です。

彼女はちょっと目を潤ませて、「命令形の方がいいですね〜!」と言いました。

命令形だから全てが悪い、というわけではないんですね。 この例のように、相手としっかり密着して言葉を交わしたいこともあるんです。



敬語はお客様と距離をとるためのものだということ、 命令形で話すことが全て悪いとは言えないということなど、 私たちが言葉遣いによって、相手との距離を調整しているという話の続きです。

以前あるレストランで私の社員研修を受講してくれた従業員の方から、 「それでも敬語は絶対に必要だと思います」という意見をいただいたことあります。

もちろんそれに反対するつもりもないのですが、敬語が尊重される現代の日本でも、 敬語をあまり使わずに接客をしている人もいるんです。 しかもそれが、お客様から怒られるどころか、 お客様から喜ばれているということもあるんです。

私の一番身近な例をあげますと、静岡市駿河区西島に、 「タイ オーキッド」というタイ料理のレストランがあって、 店長でありウェイターであるサンティーさんというおじさんが切り盛りしてしています。

サンティーさんは、お世辞にも日本語が上手とはいえません。 むしろあまり話せない部類に入る人で、毎日の接客にも敬語をほとんど使いません。

ところが彼は大変な人気者で、サンティーさんに会いたくて食事に来るお客さんが 毎日押し寄せています。

彼が静岡市内で店を切り盛りするようになったのはもう15年ぐらい前のことで、 そのころから見せてもらっていますが、 ずっと変わらないその接客のポイントは何かと言いますと、 お客さんに近づき、お客さんを楽しませようとする気持ちではないかと思います。

わざと注文と違うものを出したり、 激辛の調味料を食べさせようとしたり、 おもちゃの蜘蛛で驚かせたり、 お釣りにこども銀行のおもちゃのお札を出したり・・・と、 誰にでも通じる単純なジョークを繰り出して、 いつもお客さんを笑わせてくれるのです。

子供がくればかわいいかわいいと言ってキスしたりしていますから、 根っからの子供好きでもあり、人柄の良さが絶大な信頼にもつながっています。

というようなわけで、サンティーさんのような人であれば、 敬語は必ずしも必須条件とはならないんですね。

昔の日本を思い出してみても、食堂のおばちゃんたちや飲み屋の主人は 必ずしも敬語を使ってはいませんでした。 「かしこまりました」なんて言わず「はいよ!」だったりしたものです。

「お客さん寒かっただろう。こっちに座りな。暖かいよ!」
「お兄さんビールね。コップそこにあるからね」
「お父さん体格いいんだから、大盛りにしなよ」

・・・こんな接客が、かつての日本ではごく普通でした。 敬語じゃないからといって目くじら立てる人はあまりいなかったんでしょう。

「そうは言うけどね、今どきのお客さんに敬語なしは無理でしょう?」

そんなご意見もあるかと思います。もちろん、無理はしない方がいいと思います。 ただここで申し上げたかったのは、敬語=接客ではないということです。

「敬語を使えば許される」とばかりに敬語ばかりしっかり使って、 それでいて慇懃無礼だったりする店員さんも見られます。

例えば、
目つきが陰険だったり、 忙しいのかもしれませんがお客さんと目が合っても知らんぷりをしたり、 口では「申し訳ございません」と言いながらお客さんの心情やご都合には冷たく お店の都合を優先させる態度を見せたり・・・といった具合です。

接客する店員さんの心が、お客様に近づこうとしていない。 さらに敬語を多用して、言葉の上でもお客様と距離を取り続ける。

これでは救われないのではないでしょうか。

接客に関わる敬語の役割、そして敬語より大事なこと、 皆さんが考えてくださる機会となれば幸いです。

最高の気分「ゴキゲン」の作り方(2016/06/30)

気分が “ゴキゲン!” といえるほど良い状態だと、何をやってもうまくいきます。

筆者はビリヤード場によく行くんですが、ゲームをして勝てる時と、勝てない時との差は、すべてその「ゴキゲン」にかかっていると断言してよいと思います。

ゴキゲンを自分の意志で作り出しキープすることができるという「技術」を習得すれば、そのような勝負事も、普段の生活も、もちろん仕事も、全てが良い方向に向かって失敗はほとんどしなくなるはずです。

ところが私たちは、ちょっとしたことで「機嫌が悪くなる」という習性をもっています。

たとえば、目の前に現れてこっちに対峙している相手の人に対して、「なんか嫌な人だなあ」とか、「気に食わないな」とか、「なんだか気が滅入るな」などと感じてしまうと、ゴキゲンだった状態が崩れて「不機嫌」に変わってしまいます。

そうなると何をやってもうまくいきません。ボールをポケットに入れることも難しくなって、何とか入れることができても次が続かなくなります。

原因は、脳に居座ってしまった不機嫌が、脳の潤滑で柔軟で機敏な働きを阻害することです。

もっと単純な例として、たとえば歩行という行為があります。すぐ先の、ほんの50メートルほどのところまで、さあ今から歩こうという時に・・・

「右足を先に出そうか、それとも左足にしようか、迷うけど、とりあえず右足を出すことにしよう、しかしその後で出した右足のどのあたりを地面に着地させようか、その後の左足の動きはどんなタイミングでどう出したらいいだろうか・・・」

そんなことを考えていたら歩くことができません。

脳が正常に気持ちよく働いていたら、さっさと目的地に到着しています。一番先に出した足がどっちだったなんてことは意識には上らないし、どれぐらいの体力と時間を費やしたかなんてことすらおぼえていません。

自分が普段やっているスポーツでも、日ごろそれなりに練習しているのであれば、どうやったらいいだろうなんてことは考える必要がないんです。

必要なことはただひとつ、ゴキゲンです。

だから問題は、そのゴキゲンをどうやって作り出すかということです。

最低限必要なことからあげてみましょう。

まず、ゴキゲンな状態になった時、そのたびにその良い状態、最高の状態をしっかり意識することでしょう。

脳がどのような状態か、腹筋がどんな状態か、足取りがどうか・・・、そんなことを意識して、良い状態が崩れてしまった時とのはっきりした違いを知ることでしょう。

それには、ゴキゲンな状態を「無意識にできる当たり前の状態」とは思わないことが大事になりそうです。

ゴキゲンが当たり前の人は、ゴキゲンでなくなったとたんに「不機嫌」に支配されてしまい、完全に自由を失います。本人だけでなく、周囲にも不機嫌を伝染させます。

だから、ゴキゲンは当たり前ではないということ、ゴキゲンな状態は生き物として生まれてきて今生きているこの自分という存在にとって「最高のご褒美だ」ということを意識すると良いと思います。

そして、その最高のご褒美を何よりも大事にするんです。

そしてあとはどうでしょう・・・また機会があったら考えてみたいと思います。

生かす意志(2014/08/27)

まずこの要約から。
書籍『パーミストリー 〜人を生かす意志の話〜』

 私たちは思考したり記憶したりする脳のことを自分だと思いがち。だが実際は、脳も体と同じで私たちの持ち物でしかない。

 持ち物には持ち主がいて、それは昔から「魂」と呼ばれているものなのだが、なかなか実体がつかめないため「科学的には存在しない」とまで言われてしまう。そこで「魂」のことを《生かす意志》とわかりやすく考えてみる。

 生かす意志とは、脳が考える意志とは異なり、死んだ後も存在しつづけるもので、それは《宇宙の意志》、《神の意志》などと考えられている《共存の原理》にも通じるものだ。

 問題は人が脳=自分と錯覚すること。人の唯一の欠点は、大きすぎる脳に支配されやすく、生かす意志を見失いやすいことなのだ。

 《生かす意志=本当の自分》と意識し、人を理解し、尊敬して生きること。自分だけを守りたがる脳の強い機能に支配されてしまわないこと。それができるようになれば、私たちは本当の幸福と成功を手に入れる。


そして、こんなツッコミを入れたくなる人がいる。

「生かすのが宇宙や神の意志だとすると、どうして破壊があるの? 地震や津波が大勢の命を奪ったり、戦争による殺戮があったり、天体だって衝突したり爆発したりして死んでいく。どうしてそれが『生かす意志』なの?」

まず、人の行為はわかると思います。戦争による殺戮の原因は、B思考です。つまり、生かす意志に反する思考。思考が存在より優先された結果です。

問題は次の自然現象。自然現象はどう考えたらいいでしょう?

「自然現象=神や宇宙の意志」と考えると、誰でもわけがわからなくなってしまいます。

例えば、最愛の家族全員が、自然災害で命を奪われた。命を奪ったのは神の意志、宇宙の意志ではないのか、だとしたら「生かす意志」なんて嘘っぱちだ、という考え方です。

「自然現象=神や宇宙の意志」ではない、と、考えなければなりません。じゃあ、自然現象って何の意志か?

結論から言います。

脳による思考は基本的に物質優位です。「物質でできている生物=魂の持ち物」です。思考も持ち物であり、道具にすぎません。言葉も持ち物であり、道具にすぎません。思いも、それが思考優位によって導き出された思いなら、持ち物であり、道具にすぎません。

同じように、自然現象も物質の働きです。実際、破壊や殺戮をもたらすこともあるんですから、当然それは、生かす意志ではありません。神の意志、宇宙の意志ではないのです。

結論を簡単にいえば、「自然現象=物質優位でもたらされるもの」ということです。

つまりそれは、生かす意志よりも、物質優位が起きてしまった結果なのです。それが破壊をもたらす自然現象なのです。

私たちは大きすぎる脳を「持たされて」います。それが人間の宿命です。

大きすぎる脳は、働き過ぎる強大な思考を発生させます。思考が強すぎると、思考が自分の主人だと錯覚します。主人に従った結果、殺人や自殺、破壊などを犯します。それは本当の主人ではなく、単なる私たちの持ち物のひとつであり、道具のひとつにすぎないものなのに、それが主人と錯覚することによって、取り返しのつかない間違いを犯すのです。

「魔力」をもっているかのように妖しく光る日本刀を手にして、これで誰かを切りたいという衝動に襲われる人がいます。

「魔力」をもっているかのようにエンジン音の高ぶる高性能車に乗って、それで限界まで疾走したいという衝動に襲われる人がいます。

どちらも、物質です。日本刀、高性能車という物質、あるいは道具。それが人を支配することがあるのです。

同じように、「思考」には魔力があります。脳には魔力があるのです。それほどまでに私たちの思考はすさまじい性能をもって動いています。

そして私たちには、その魔力を従える責任があります。脳を持たされるということは、同時に、思考の魔力を従える責任を負わされるということでもあるのです。

私たちの本当の主人は、私たちの魂そのものである《生かす意志》です。私たちは《共存》という責任を負わされて生きています。いかなる困難があろうとも、人は人と共に生きる責任があります。人は人を生かすためにのみ生きているのです。それ以外にも人生に目的があるとしても、生かし、共に生きることに比べたら些細なことでしかないというほどに、生かし、共に生きることは、生命と脳を持たされた人間が生きるうえで最大の目的なのです。

判断に迷うことがあったら、ただ《生かす意志》に還るだけでよいのです。ただ共に生きることだけに生きればよいのです。

それでも物質の世界は苛酷な顔を見せることがあります。人を傷つけ、人を病におとしいれ、人の命を奪い、町を破壊し、国を滅ぼすこともあるばかりか、時には天体そのものまで破壊します。

すべては物質の世界が物質優位に大きく振れてしまうことによるものです。それでも宇宙全体としてみれば、生かす意志によって成り立っています。

その証拠が、私たちの涙に表れます。

逆境を生きる子供たち、生きるのが困難な人たちを見て、そこに生かす意志を見つけたり、そこで生かす意志に立ち返ることができたとき、私たちは涙を流すのです。

それこそが、私たちの主人が《生かす意志》であることの、なによりの証拠です。

霊障のこと(2014/09/08)

「霊障」についても書いておかなければと思って、もう1年ぐらい経ったかもしれません。

どうにも私たち俗世間の人間というのは、「霊界」とか「怨霊」とか「背後霊」とかいった言葉によく反応します。それらについては、世間にいろんな体験談や解釈があって、怖いもの見たさなのか何なのか、摩訶不思議なことには興味がつきないんでしょう。

実は私も幽霊体験がいくつかあります。その話をここで事細かに書くのもいいんですが、怖くて眠れなくなる人がいたら困るので、一例をおおまかに説明しますと‥‥学生時代の一人暮らしのボロアパートで、夜中の3時ごろ、パイプベッドをぴったり寄せていた窓を叩く人がいて、起こされたんですが、雨がざあざあとよく降ってまして、窓を開けると白いシャツを着た若い男性がいまして、髪は直毛七三分け、なんで寝てる私を起こすのかと、もちろん気分はよくありません。「なんですか?」ときくと、「すいません。この窓に干してあったシャツを知りませんか〜」と訊かれたんですが、もちろん自分の部屋の窓だし、北側だし、そんなところに干したこともないし、「知りませんよ」と答えるしかありません。「シャツはいいんですが、胸ポケットに入れていたものが大事なものだったんです。シャツを知りませんか〜」とまた訊くんですが、知るわけもないので、「すみません。朝早くバイトに行くので、ごめんなさい」と言って窓を閉めたんですがね。眠れませんでした。

ずいぶんと事細かに書いてしまいました。ついうっかりです。すみません。

翌日だったか、翌々日だったか、夜でしたが、中学高校時代からの親友が遊びにきていて、ふとその雨の未明のことを思い出したので、彼にその話をしたところ、「どこから来たって?」と彼が畳から立ち上がってその窓を開けたんですね。

「人、来れないよ」

確かに、私の部屋は2階ですし、その窓の外にはベランダもなにもなくて、梯子もかけられそうになかったんです。でもその若い男の顔は思い出せたので、きっとアクロバットみたいなことをして、雨の降る中をこの窓によじ登ったんだろうと考えました。大体、幽霊とそんな会話をしたなんて話は聞いたことがありません。

それからそのアパートにはずっと住みつづけましたが、やはり、あの若い男はこのアパートの住人にはいないということもわかりました。

もっと無理に考えれば、かつてこの部屋に住んでいたその男が、雨の中、夜中の3時に特殊な繩梯子か何かをもってやってきて、なんとかよじ登って私を起こしたんだということも考えられるのではないかとも思いましたが、それにしては、あの時あの男は、あまりに普通に窓の外に立っていたようにも思えます。

わけがわからないので、やはり幽霊だった、というのが現在までの結論です。

幽霊、らしきものは、そのアパートの、自分の部屋の中でも見たことがあります。やはり寝ているとき、暗がりの中、テレビの上にすうっと煙が立ちのぼるようにして、女性の白い影が見えたことがあります。

その部屋では、金縛りにも、何度も何度もあいました。体がまったく動かないのに、意識だけははっきりしているというあれです。動けないだけならまだしも、体がぐわんぐわんと宙に浮いて上がっていくという経験も何度かしました。

さすがにそれはないだろうと、私も案外冷静でしたから、浮遊して上がっていく時に、目をしっかり見開いて、近くの布団と向こうの壁の位置関係を睨んだものです。本当に上がっていくのなら、布団に隠れた向こうの壁の下の方がどんどん見えてきて、しまいには畳も見えるはずだったからです。

でもそうは見えませんでした。まだ二十歳にもならないころなのに、なんて冷静だったんでしょうね。感覚としては明らかに上に浮いていくのに、視界はまったく変わっていない。つまり実際には浮いていなかったんです。

テレビの上の幽霊女性もしかりです。こっちは私に話かけてはくれませんでしたが、ぱっと出てすぐ消える感じでしたから、きっと忙しかったんでしょう。

幽霊に限らず、嫌なことの起こるアパートではありました。私の真下の部屋に住んでいた50歳一人暮らしの男性が亡くなって、死後1週間経ってから発見されたこともありました。優しそうな目をしたおじさんでした。ご冥福を祈ります。

幽霊ではなく、超能力もいろいろと体験しています。非常にリアルで超巨大な母船UFOとそこに帰艦する小さいUFOの一部始終を見たこともあります。これは全部本当の話で、つくり話は一切ありません。

さて、霊障の話です。

幽霊も、超能力も、霊障も、全ては脳の働きだと考えます。私たちの脳は非常に複雑で、未知の働きもするんです。幽霊は「霊界」のものではないと考えます。そもそも「霊界」って何だろうと思います。

私は「死後の世界」=「霊界」ではないと考えています。生きている人間が見たり聞いたりするものは、全て「この世」のものだからこそ、見えたり聞こえたりするんです。それがどんなに不思議なものでも、この世で見え、聞こえる以上は、この世のものだと考えるのが正常な見方です。

死んでからのことは、生きているうちにはわかりません。死んだ人が生き返って教えてくれたなんてこともありませんし、臨死体験というものも、脳の仕業にすぎないことがすでに科学的に証明されているんです。死んでないから臨死体験ができるということです。死んだら生きては帰れないのです。

全ては脳のしわざ。そう考えてください。霊障も、脳が起こすものです。

怒りのカラクリ(2014/11/5)

ダライ・ラマ14世法王猊下は「怒り」を人類にとって不幸をもたらす悪いものとおっしゃっていますが、当教室ではもう一歩踏み込んで、「人はなぜ怒るか?」を理解することをおすすめしています。

怒りやイライラには、カラクリがあるんです。

簡単にいえば、怒りは「希望」「期待」「望み」「要求」「欲望」・・・といった「思い」が主な原因になっています。

「希望」「望み」などと聞くと、そのような思いを持つことは「悪いことではない」と考えてしまいがちですが、「希望」をもって行動したり、言葉を発したりして、結果がその「希望どおり」にならない時、私たちはがっかりしたり、怒ったりするのです。

ただひとり寂しくがっかりするだけならさほど問題にはならないのですが、多くの場合、「思いどおりにならない」ことに対して、いら立ちをおぼえ、自分以外のところに思いどおりにならない原因を見つけると、それに対して怒りをおぼえます。「誰々のせいだ!」「何々のせいだ!」という具合です。

たとえば、私はコーヒーが好きで毎日飲んでいますが、一日に何度か、ゆっくり落ち着いてコーヒーを飲みたいという「思い」があります。そしてできれば一緒にタバコも吸いたいという「思い」があります。

そんな思い(希望)が、思いどおりになれば気分も良いのですが、時にはそれがかなわないということもあります。たとえば、仕事の合間に玄関先へ出て、今微かに湯気をあげているコーヒーを片手に、今火をつけたばかりのタバコをゆっくり吸おうとしているとき、家の中で電話の音がして、すぐにタバコを消さなければならなくなった、というような時、せっかくの良い気分が害されます。

まあしょうがないかとタバコを消して家に入り電話に出ると、それは間違い電話だった、なんてことになると、タバコ1本、まるまる損をしたような気分になって、1本24円、返して欲しいとさえ思います。そんな時に怒りをおぼえるわけです。

もっとも、この程度のことならすぐに忘れることもできるから、大した問題にはなりませんが、もっとひどい時もあります。

特にありがちなのは、車を運転している時ですね。すいすいと順調に走ってきた時、そのペースで走っていれば時間に間に合うなと思っていたところ、前方にこっちを向いたあり得ない車がいます。右側駐車をしようとしていて、行く手を完全に塞いでいるんです。ブレーキをかけて停車せざるを得ませんから、後ろから来た車も次々に停車します。クラクションを鳴らして、すぐにどいて欲しいという意思表示をしますが、さらにあり得ないことに、道を塞いだ車から運転手が下りてきて大きく手振りをし、「しばらく待て!」と言っているようです。道路はみんなのものです。しかもその車は反対車線にいるんです。

ここで怒らなかったら、人生いつ怒るんだというぐらい、怒りの感情が湧きあがってきます。

ここでも怒りの感情というものは、「ルールを守ってほしい」「守るべきだ」という「思い」に始まっています。

そんな状況なら誰だって怒るだろうとは思いますが、もし仮にその時、自分が泥酔していて笑い上戸になっている状態だったりしたら、怒りをおぼえることはないでしょう。あるいはまた、ルール無視でこっちを向いた前方の車が、実はそうすることでしかその近くにいた人の命を救うことができない状況だったということがわかった時も、怒りをおぼえることはなくなります。

怒りをおぼえない二つのケースをあげてみましたが、前者は「自分が笑い上戸になっていて怒りをおぼないケース」、後者は「相手の状況をよく理解できて怒りをおぼえないケース」です。二つのケースに共通しているのは、相手に対する「自分からの一方的な希望、要求、期待」がないということです。

「怒りは悪いことだから怒ってはいけない」と言われても、はいそうですかと、すぐに怒りを止めることは難しいことです。

そこでなんとしても怒りをおぼえないようにしようと思ったら、自分が今どんな「思い」なのか、自分自身の「思い」をチェックしてみること、是非これをおすすめしたいと思います。

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