この図が、私たちの認識の基本形です。
日本語の動詞では、「見える/見えた」というように「る/た」または「-u/-ta」「-u/-da」という語形のペアが使い分けられています。
形容詞では「楽しい/楽しかった」というペア、名詞や形容動詞では「だ/だった」というペアです。
このような言葉の変化が何を意味するかということについて、従来は「現在/過去」や「未然/已然」、または「未完了/完了」であると説明されてきました。
それらがどういう基準から出てきた説明かというと、「客観的事実」です。
つまり、「見える」というのは「現在」または「未来」に起こることで、「見えた」といえば「過去」に起こったことであるという見方です。
ところが私たちの日本語に限らず実際の言葉の使われ方というのは、そうした基準から外れた、例外であるとするしかない用例にあふれています。
上の図で説明しているのは「請け合い/受け止め」という見方です。
これは客観的事実ではなく、言葉を発する私たちの意識がどうかという点に着目したものです。
「請け合い」では、たとえば「見え」という言葉で表される対象=事象に対して、意識の方が主導的です。意識が対象を「請け合う」形となり、そのような時には「見える」となります。
「受け止め」では、自分の意識自体に対して、「見え」という対象の方が主導的です。意識は対象を「受け止める」形となり、それが「見えた」となります。
「請け合い/受け止め」という見方による説明には、一切の例外がありません。
「考え」という対象についても、その対象は「自分自身の思考」という内面にあるものですが、「意識」が「思考」という対象を認識していて、「考える」なら「請け合い」、「考えた」なら「受け止め」という認識のタイプを表しています。
それを表し、相手に伝えることによって、私たちは自分の認識がどうなのかを伝え、それによって「客観的事実」も伝えることが可能になっているというわけです。
「私たち」の「意識」というものが、自分の思考も対象にしているというのは紛れもない事実です。
それがこのように、言葉の最も基本的な「ペア」の使い分けによって表されているということです。
このような説明が初めて発表されたのが、大修館書店 月刊『言語』1994年12月号に掲載された『〈日本語学習者のための〉新しい日本語文法』です。