その時、先輩は私を怒鳴りつけてくれた。
「君はどうして自分を大事にしないんだ!」
今にも殴られそうな剣幕だった。
でも、それが私にはうれしかった。先輩は私のこと、少しは気にかけてくれていたんだって、それが伝わってきたから。
・・・なんていうこともあります。
怒ってもらえてうれしかったということです。
普通なら、怒られれば防御しようという反応が起こります。反撃か、逃走かの、二つです。それが怒りです。怒りは相手の怒りを呼ぶのです。怒りの反応も起こしようがないというどうにもならない場合には、その反応は悲しみに変わります。
ところがそれが、喜びになるということもあるんですね。どんな条件なら? ということを考えてみると・・・
相手の怒りによって相手が自分の存在を肯定してくれている(自分を愛している)ことがよくわかった。
つまり、愛の表現としての怒り。怒りが愛情表現になるということもあるわけです。
ただそれには、さらに条件がありそうです。というのは、怒られる方がその愛情を欲していること、という条件です。
こんな人には絶対に愛されたくない! というような相手だと、いくら愛情表現で怒られてもちっともうれしくありません。うれしくないどころか、ただ怖いばかりです。どうか私のことは忘れてくださいと、ストーカーから逃げたい人の立場になってしまいます。
怒りが相手に受け入れてもらえるようになるためには・・・
怒る側の要求:相手を認めたい、相手を生かしたいと思う
怒られる側の要求:相手に認められたい、相手に生かされたいと思う
というように、互いの要求が一致していないといけないわけです。
さらに、怒り方というのもありそうです。ちゃんと自分の思いが伝わる怒り方になっていないといけないからです。