私たちが「わたし」とか「自分」と思っているのは、実は「性格」とか「感情」「気分」とかではなくて、それよりも深いところにいる「意識」です。
本当の自分とは何か? それを一言でいえば、「意識」なんですが、じゃあ「性格」とか「気分」とかは何なのかというと、「私たちが持たされている持ちもの」だと考えるとわかりやすいでしょう。
「性格」とは、脳の中で日ごろは意識のとどかないところにあって・・・
(1)親から受け継いだ遺伝的な気質や体質
(2)これまで生きてきた中でのさまざまな経験によって身についた、ものごとへの反応のしかたや考え方
・・・ということになるんですが、(1)も(2)も、好むと好まざるとにかかわらず、私たちが持たされてしまっているものであって、自分の意志で簡単に身につけたり捨てたりできるものではありません。
「自分の意志ではどうにもならない、だからそれが自分なんだ」と思ったり感じたりしてしまうのも自然なことですが、そうではなく、この・・
「深いところにいる意識である私たちが、自分の意志によらず持たされてしまっている持ちもの」=「性格」
・・という見方をすることで、本当の自分である意識というものが、実は「良い意識」「悪い意識」というように分類できるものではなく、「良い/悪い」と分類できそうなのは「持たされている性格」や、一時的に現れる「考え」や「思い」や「言葉」なのだと、はっきり認識できるようになります。
そう、私たち=意識というのは、良くも悪くもない存在なんです。
じゃあ、その意識って、どこあるの? という疑問もあるかもしれません。
脳科学(ニューロサイエンス)では、前頭前野(または前頭前皮質)が意識の中枢だとされていますが、それだとちょっと実感が・・・ということがあると思います。
そこでわかりやすい喩えがあります。つまり・・・
- 自分の全体=海と考える。
- 意識=本当の自分は、深い海の底にいる。
- 深い海の底から、海面や波打ち際や、空まで、全部を感じている。
- 変わりやすいのは海の浅い方であって海底はなにも変わらない。
- 海の浅い方には、感情や思考がある。
「そんなこと今まで考えたことなかった」という人でも、ちゃんとこの通りに生きていて、それは私たちの言葉にもちゃんと表れています。
「ああ、腹立ってきた!」
これは「腹が立つ」という情動(脳の扁桃体で起こるもの)が、海の浅いところにあって、自分=海の深いところにいる意識が、それを観察しているからこのような実況=発話ができるという事実を表しています。
「なんかね、今ちらっと頭をよぎっただけなんだけどね・・・」
これは「ちらっと頭をよぎる」という思いが、海の浅いところにあって、自分=海の深いところにいる意識が、それを観察しているからこのような実況=発話ができるという事実を表しています。
「腹が立つ」という感情や、「頭をよぎる」という思考は、本当の自分である意識によって観察の対象になっている、だからこの発話のように実況を語れるというわけです。
このような事実から、思考や感情がどんなに揺れ動いたり変わったりしても、本当の自分は何が起きても変わらないところで定点観測しているんだということがわかると思います。
そしてそれは自分だけではなく、自分以外の人たち全員がそうなのだということも意識できるようになります。
というのは、イヤな人がいたとしても、その人の思考や感情に表れる性格、つまりその人が自分の意志で身につけたわけではなく仕方なく持たされてしまった持ちもののせいであって、本当のその人が「イヤな人」だというわけではないということが意識できるんです。