「そんなにイヤな人? 困った人?」
「イヤな人だ。救いようがなく、困った人だ。どうにもならない人だ。
できれば近くにいてほしくない人だ。近くにいるとわかっただけで自分を不安にする人だ」
「その人をそう思うのは自分だけ?」
「いえいえ、自分だけではない。他の、多くの人たちも、自分と同じような目に遭っている。だから、自分がその人を嫌うのは当たり前であって、自分は間違っていない」
「その人を知る全員がそう思っている?」
「全員かというと、そうではない」
「その人を知る人のうち、自分ほどイヤとは思っていない人、さほどでない人もいる?」
「いる」
「じゃあ、そのさほどでもない人は、その人をどう思っている?」
「好きではないと思う」
「嫌っている?」
「どちらかといえば嫌っていると思う」
「嫌っていることを言葉や態度に表す?」
「表さない」
「じゃあどうして、そのさほどでもない人たちは、その人に対するあからさまな言葉や態度を出さずに生きている?」
「ガマンしているんだろうと思う」
「ガマンだけで、言葉や態度を出さないでいられる?」
「ガマンだけではないかもしれない」
「ガマン以外に、なにが考えられる?」
「おそらく、とりたてて何も考えていないんだろうと思う」
「そう! 重要なヒントはそれ。あなたがその人をそんなに嫌うのは、あなたが “あるもの” をその人よりも大事にしているからなんだ」
「あるものって、何?」
「それは、その人に対する評価」
「誰がする評価?」
「あなたが、その人に対してする評価」
「あの人のことを私が評価している?」
「あなたはその人のことを、『あの人はこういう人だ』と、特定の評価で見ているということ。その評価を、その人という存在よりも、上位に置いているんだ」
「自分からの評価が、相手の存在よりも上?」
「その人そのものを、その人そのままに見るということ。それが何よりも大事なこと。なのに、あなたはそうではなく、自分が握りしめている “評価” に従って見ているということ。あなたのその “評価” はきっと正しいんだろうけど、その “評価” を最上位に置いてしか、その人を見られいないのだとすれば、あなたはずっとその人のことで苦しまなければならないよ」
「私があの人のことを理解していないということ?」
「評価するためだけの限られた理解はしているかも。でもそれは、停止したままの、限界のある理解。そのような理解は、本当の理解じゃない」
「それは考えたことがなかった」
「あなたは固定された評価を握りしめたまま、その人との関係を続けている。だからこれからは、その握った手を開いて、握りしめてきた評価を手放して、評価とは無縁なところからその人を見るようにしてごらん。その人にあえて近づこうという話ではない。その人に対して、 “さほどでもない人たち” と同じようになることだよ。それは難しいことではないはず」
「あの人のことを、とりたてて何も考えないということ?」
「自分の中の “評価” から思考を始めると、その “評価” は化物のように大きくなってしまう。 “さほどもでない人たち” は、とくに評価を大事にしていないし、たとえ評価を持っていたとしても、そこから思考を始めない。だからたとえ評価があったとしても、化物は生まれないんだよ」
「自分が握りしめていた評価が化物を作り出していたということか! よくわかりました。ちょっと先が明るくなってきた!」