そだねージャパンに見る共感の力

今、韓国で行われている冬季オリンピックは、長野オリンピック以来という日本勢の活躍で大いに盛り上がっていますが、そんな中、カーリング女子(ロコ・ソラーレ北見のチーム)がとても興味深い話題を提供してくれています。

現在までの一次リーグでは開催国の韓国が1位なんですが、日本の藤澤五月選手の美貌が韓国で注目されていて、今大会ナンバーワンの美女とまでいわれているそうです。

ルックスももちろん良いといわれて悪いことはありませんが、日本国内では彼女たちがハーフタイムに補給するおやつや、北海道なまりの言葉も注目されています。

その中で特に話題になっているのが「そだねー」という言葉で、LS北見の彼女たちチームが「そだねージャパン」とも呼ばれているのだとか。

「そだねー」がなぜそんなに話題になっているのか、どうして私たち日本人の心に訴えるのかといえば、「かわいい」「癒される」「ツボにはまった」といった感想に見られるように、理屈ではなく感情的な共感を呼んでいるからです。

男性と女性の “考え方の違い” というものを比較するときに、心理学でよくいわれるのは、男性は論理的であることや正論であることといった、いわゆる “力勝負” の言葉のやり取りを重視しがちですが、女性は男性よりももっと感情的、情緒的な言葉で共感しあうことを大事にします。

夫婦や恋人など、男女で関係がうまくいかない時、「相性が悪い」などといって修復することをすぐあきらめてしまうケースがありますが、男女というのはそもそも、体の関係なら誰とであっても相性が良く、思考の関係ということになると相性が悪いということがいえそうです。考え方の違いというのがあるんです。

ですから、ひとたび感情の衝突があると、男性は「理屈」「理由」「道理」「因果関係」「立場」「責任」「証拠」「証明」などで女性を説得しようと考えてしまいがちですが、そのやり方では女性はめったに納得しません。もしそれで納得してくれたように見えたとしても、それは本心からくる本当の納得ではないと考えておいた方がいいでしょう。

女性が求めているのは安心感や共感であって、理屈だけでは納得しないと考えるべきなんですね。

「そだねー」という言葉、カーリング女子チームの北海道弁ではありますが、言葉の構造自体は標準語の「そうだね」とまったく同じです。

「そだねー」を「そ」と「だ」と「ね」に分解して、それぞれの意味の深いところを確認してみましょう。以下、言語学的で文法的な話になります。

 

「そ」

これは「こそあど」の「そ」で、「こそあど」というのは指示する言葉ですが、それぞれ次のようなところを指示します。

  • これ:自分の側にあること
  • それ:相手の側にあること
  • あれ:自分と相手に共有されること
  • どれ:以上のどれにも特定されないこと

「そだねー」の「そ」というのはつまり、「自分ではなく相手が出した意見や提案」を指しています。

 

「だ」

これは「自分自身の意識」対「自分の意識が向けられている対象」という関係において、「自分自身の意識」の方が「主導的」であったり「主体的」であったりするということで、「自分の主張」や「自分の意見」であることを意味します。

「そう(相手の意見)」+「だ(自分の意見)」という組み合わせによって、「自分の考えも相手の意見と同じ」という意味になり、「自分は相手の意見を肯定する」という意味にもなります。

 

「ねー」

「終助詞」とか「感動詞」として使われる「ね」ですが、これは「同意」や「同感」や「共感」することを、自分から率先して相手に誘ったり、相手から言われて「確かだ」と確認する姿勢を表しています。「そう」や「だ」よりも感情的、情緒的な言葉ですので、「そうだ」+「ね」とすることによって、相手の意見と自分の意見の一致が論理的なものにとどまらず感情的にも一致するということになってきます。

 

以上のことから「そだねー」が伝えていることの詳細は、次のようなことになります。

「今あなたが言ったことについてはしっかりと理解した。私も大いに同感であり、私も主体性をもってあなたと同じ考えであることを、はっきりと感情をもって表明したい」

たった一言の「そだねー」ですが、論理的に詳しく意味を明らかにしようとすればそんなことになるわけです。

もちろんそこには「話し方」「語気」「態度」というものが適切に伴っていなければなりません。

同じ「そだねー」であっても、態度によっては例えば次のように違った意味にもなってくるからです。

  1. 「そだねー」と言ってはやるが、決して嬉しくて言うわけではないのでそのつもりで聞きなさい。
  2. 「そだねー」と言ってはやるが、自分の怒りはまだまだ収まらないのでそのつもりで聞きなさい。
  3. 「そだねー」と言ってはやるが、自分の悲しみはまだまだ続くのでそのつもりで聞きなさい。
  4. 「そだねー」と言ってはやるが、あなたの話を真面目に聞いてやったわけではないのでそのつもりで聞きなさい。
  5. 「そだねー」と言ってはやるが、あなたの言うことを笑ってバカにしたいのでそのつもりで聞きなさい。

「そだねージャパン」の選手たちは、おそらく上のような変な態度で「そだねー」と言うことはなく、皆さん素直に「同感」や「共感」を伝えあっているんだろうと思います。

だからこそ、オリンピックの試合で聞こえてくる彼女たちの言葉に、日本中が共感しているんでしょう。

何でもない言葉ですが、今あらためて「共感」が生み出す力の大きさを思わずにはいられません。

私たちはもっと共感を大きくすること、もっと共感を大切にすることによって、もっともっと充実した楽しい毎日を送ることができます。

何しろそれは、生まれたばかりのころ、まだ赤ちゃんだったころから、私たちは常に共感を求めて生きてきたんです。

共感を求めても得られないまま育ってくると、子供は次第に自分から感情を表すことをやめてしまいます。そして寂しい人に育っていきます。

いくら寂しくても、どこかでまた共感を取り戻さないことには、私たちの人生は輝いてきません。

男性の場合は特に、寂しさを理屈や証拠で否定しようとせず、理屈も証拠もないところでの、決して正論とはいえないところでの「共感」を得られるようにしたいものです。

「とてもその自信はないな」とお考えなら、是非一度、当教室に来てみてください。

全てを解決しうる大きなきっかけが見つけられると思います。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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