生き方の基準のこと

「こいつはクズだ」としか思えない人間もいるかもしれません。

なぜそう思うのかといえば、身近にいる人に対してああしろこうしろと要求するばかりで、その要求が聞き入れられないとなれば、相手の心が壊れるところまで言葉で相手を追いつめたり、相手を憎んで痛めつけようとしたり、あるいは相手を殺してもかまわないと考えたり…そんなどうしようもない、救いようのない人間だということがわかって「クズ」だと思い、ただ絶望的になるか、憐れむかするしかないからです。

ただ、もしそんな人間がいたら、「反面教師にする」、というのはつまり、「自分の考えや行動に値打ちがあるかどうかを判断するための基準にする」ことができます。

「この人は神さまだ」と思いたくなるような人もいます。

なぜそう思うのかといえば、何かが欠乏してしまって苦悩している人がいれば、そう、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にもあるように、自分の都合や欲求は勘定に入れず、できることは何でもして助けようとする人です。「己を利する」ではなくて、「人を生かす」ということを、常に実践してくれている人です。

もしそんな人がいたら、それもまた「自分の考えや行動に値打ちがあるかどうかを判断するための基準にする」ことができます。

語弊を恐れず、「基準」を単純化して言うとすれば、「人から奪う者」と「人を生かす者」ということになります。

私たちはしばしば己の保全を優先したくなります。

自己保全を優先するために、身近にいる大切な人に苦しみを強いるようなことだってしてしまいがちになります。

それをしてしまうことによって、自分という存在の尊さが損なわれてしまいます。

人を生かす者でなく、自分だけを生かす者になってしまうことによって、人から安心を奪い、人との共感を破壊し、自分に対する人からの信頼をなくしてしまうんです。

このように、基準があって、生き方の指針がはっきりしてきます。

どうすれば人に安心を与えることができるのか、どうすればその逆になってしまうのか。

私たちの誰もが、それを知っているはずなんです。

人を生かす人でありつづけることが、特になんの苦もなく、当たり前のこととして楽々できている人がいます。

そのような人を「楽な人」と呼ぶとすれば、一方で自分を生かすことにばかり必死でなかなか人を生かせない「苦しい人」もいます。

「楽な人」と「苦しい人」との差がどうしてできてしまうかというと、その原因は二つあります。

ひとつは先天的なもの。

親から引き継いだ遺伝的な原因で、前頭前野の働きが強ければ楽になり、弱ければ苦しくなります。

もうひとつは後天的なもの。

生まれ育ってきて、人生を送るうちに、「良い経験」をたくさんしてきた人は前頭前野が強くなって楽になり、あまり「良い経験」をしてきていない人は前頭前野の働きが弱くなって苦しくなります。

問題は「良い経験」とは何か? ということです。

それもなるべくシンプルに考えるとすればこんなことになります。

  • 人との共感を人よりたくさんすること
  • 人の理解者になることで、自分を理解してくれる人にも恵まれること

この両方について、次のような点も大事になります。

  • 論理的思考だけでは絶対に解決しないということ
  • 論理的整合性以上に、感情的なつながりをたくさん持つこと

「感情的に安心できる」(A)ということが、「理屈で納得する」(B)ということよりも大事なんですね。

ところが、私もかつてそうでしたが、男性というのは「B」の方を大事だと考えてしまいがちで、女性は「A」の方を大事にしたがります。

夫婦仲が悪くなったりして、夫が妻を理屈で説得しようとするということがよくあります。

妻はそれでは納得せず、感情的な安心さえあれば理屈なんて要らないと考える傾向があります。

「論理的思考能力」というものがとても強い男性というのは、「腕力」が強い男性と同じことで、「力勝負」で相手を説き伏せることが「解決の道」だと勘違いしてしまいます。

「論理的思考能力」というのは「言葉の腕力」になるんです。

関係が悪くなってしまったときには、できれば夫の側から、自分の思考というものを一切停止させた上で、妻に安心と共感をひたすら与えつづけることに徹するのが良いと思います。

「論理的思考」や「証拠の提示」や「誓約」や「言質を取ること」は全部どこかに捨ててしまわないことには、いつの間にか「自己保全のため」になってしまうんです。

それだと「生かす者」ではなく、自分が納得することを優先した「奪う者」になってしまいます。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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