善意の要求、善意の命令

身近な相手に対する「希望」や「期待」や「要求」は、それが相手によってかなえてもらえなかったとき、相手に拒絶されたとき、相手が無視したときなどに、怒りなどの嫌な気分が生じます。

自分の要求(望み)が壊された! 邪魔された! という「結果」を受けて、脳の中の扁桃体という部位が「怒りの反射」を示すんです。

つまり怒りの感情が発生するそもそもの原因は、私たちの【要求】にあるということです。

【要求】は、ほとんどが無意識のうちにあって、例えば「話を聞いてほしい」という【要求】があった場合、自分は、「聞けよ!」とか「聞いてよ!」と、心の中で【命令】をしています。

この【命令】が聞き入れてもらえないために、カッとなり、相手が悪いという判断をしたりするんですが、そもそも自分は、「相手に命令する資格があるんだろうか?」という自問をしていません。

そう自問した上で命令する、というのが、対人関係にとっては必要なことであるはず‥‥なんですが、どうしてその手順を飛ばしてしまうのかといえば、自分の【要求】【命令】は、「正しいこと」「要求して当然のこと」「自分の善意によるもの」といった、無意識のうちの判断が根底にあるからです。

以上は、実は例外もあって語弊を恐れず書いてみたこと‥‥ということになるんですが、かなり多くの場合にあてはまるんじゃないでしょうか。

講座や講演でお話してきている「自分の善意に注意してください」というのも、【善意にもとづく要求】【善意にもとづく命令】であるほど、怒りや失望の感情が大きくなるからです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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