今回は、アンガーマネジメント静岡教室の【アンガーマネジメント基礎講座】でもお話している内容です。
昨年こんなことがありました。あるお役所の管理職の皆さん50名に集まっていただいたときのことです。
「私も皆さんと同じ世代です。皆さんは昭和のころに社会人になって、それから平成の約30年間を働いてきて、そろそろ定年を迎えようとしていますが、まだ社会人になりたての若いころ、二十代のころですね、上司や先輩から『バカヤロー』と怒鳴られたことはありますか?」とお聞きしました。するとほとんど全員の方が手をあげました。
「では今管理職になって部下や後輩に『バカヤロー』と怒鳴ることはありますか?」とお聞きすると、手をあげた方は一人もいませんでした。
次にこんな質問もしました。
「若いころ、上司や先輩のお宅に招かれて遊びに行ったことはありますか?」これには全員が手をあげてくれました。
「では、部下や後輩を招いて自宅に遊びにきてもらったことはありますか?」これに手をあげた方は一人だけでした。
これを「時代の移り変わり」だとするなら、昭和のころに溢れていたのは「人情」であって、令和の現代にはそれが不足しているということになるんじゃないでしょうか。
よく言われることとしても、今の若い人たちは飲みに誘っても喜ばないということがあります。
どうやら人間関係が薄情化しているということになりますが、問題は人づきあいを「嫌うようになった」ということではなくて、人づきあいが「変質した」あるいは「歪んだ」ということだと思われます。
プライベートでもつきあいがあるかどうかということ以前の問題として、どうにも職場には【無駄話】が不足しているのです。
私たち人間は、要件だけのコミュニケーションでは生きていけません。
要件を的確に伝えあうためには、要件以外のコミュニケーションが好意的かつ十分に行なわれていなければならないんです。
互いに好意的な関係というのは、要件以外のところで築かれていくものです。
「君んとこのお嬢さん、いくつになったかね?」
「四になりました」
「24か。いるのかい?」
「いやあ、うちのはまだまだ」
「まだってことはないよ。もういい年だよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。どうだい。紹介したい青年がいるんだけどね」
これはうろ覚えですが、小津安二郎監督の昭和三十年代の映画に出てくる職場での、勤務時間中の会話です。昭和の早いころには、まだこんな会話が普通に行われていたんです。
- 同僚や部下の家族構成ぐらいはちゃんと知っている。
- 互いの家族のことを心配するなど、おせっかいを焼くことができる。
- 心の内を日常的に語り合うことができる。
およそですが、かつてのこんな当たり前が、今では少しも当たり前ではなくなってしまいました。
人との関わりは少ないほうがいいとか、距離を取ることがマナーであるとか、会話は最小限にして要件を手短に伝えるのが良いとか、そういった考え方というのは、ロボットに対しては効率の良いことだろうと思いますが、心で生きている人間に対してはどうなんでしょうね。
昔なら言えた「バカヤロー」が言えなくなって、そんなことを言えばハラスメントになって相手が鬱になったりしかねない、ということで、ますます無駄話が消えていくわけですが、普段からいっぱいの無駄話の中で心を通わせ、風通しの良い人間関係の中に暮らしていれば、バカヤローの一言ぐらいなんでもないということです。
ハラスメントの問題を考える上で、無駄話を抜きにした議論など何の役にも立たないのではないかとさえ思います。