今年は四月に父が亡くなり、六月に自分が六十になり、八月に初孫ができました。
二月には久能山東照宮で落合宮司様との講演会がありました。静岡商工会議所の観光飲食部会主催によるもので、昨年末に出版された拙著『余ハ此處ニ居ル 家康公は久能にあり』の内容でお話させていただきました。確か七十名ぐらいの方々がお聴きくださったと思いますが、新型コロナウイルスの感染拡大が始まっていて、その講演の後には、アンガーマネジメントや子育てセミナーなど、一切の講演・講座がなくなってしまいました。
自分もついに還暦の六十になってしまったんですが、昔なら六十といえばもうたいそう長生きをしたということでお祝いをしたんでしょうけれども、今では六十歳未満の人の方が少ないのではないかと思うくらいに超高齢化社会ですから、まだまだ若造の部類なのかもしれません。
初孫を産んでくれたのはアパート住まいをしている私の長女で、長女は優しい夫に恵まれて夫婦仲もよく、産婦人科から赤ん坊と退院してうちに帰って静養していましたが、夫婦離れ離れがどうにもつらいらしく、一週間と経たないうちにアパートへと帰りました。親子三人水入らずで安心して暮らしてくれればそれ以上のことはないと思います。
八月十九日には、一般社団法人静岡青色申告会様からお招きいただき、静岡市中心街のクーポール会館というところで拙著『余ハ此處ニ居ル 家康公は久能にあり』の内容での講演を担当させていただきました。拙著の販売もしてくださり、お買い求めくださった皆さんがサインをとおっしゃられたので、まるでサイン会のようになりました。なんとも嬉しいことでしたが、日ごろ自分の名前をろくに書きもしないため皆さんをお待たせしてしまうことになりました。こんなことならサインというものを練習しておけばよかったと思いました。
生まれたばかりの赤ん坊がどれほど小さいものかということを忘れていましたので、孫と対面して、こんなに小さかったかと、ちょっとびっくりしてしまいました。箸の先ほどの細い指が手足に揃っていて、手のひらには立派な手相も出ています。どんなに小さくとも一人前の人間です。それは赤ん坊をちゃんと見ればわかることです。時折笑顔になったりもして、なんとも可愛くて仕方ありません。「孫ほど可愛いものはない」とは聞いておりましたので、これから先の成長が楽しみであると同時に、相好を崩しすぎて自分が溶けてしまわないか心配でもあります。