カーっ!とするのは「怒りの反射」。カーっ!として表情や言葉に出てしまった場合でも、反射は反射。一時的なものとしてあとはすぐ元どおりになれれば問題ありません。
それが元どおりになれないことがあります。
そこから「思考」が始まってしまい、相手が「悪い!」と考え、「自分は何も悪くない!」「自分は正しい!」「相手が間違っている!」というように考えが止まらなくなることがあります。
これを「怒り思考」と呼んでいます。
「自分は間違ってない」という考えは自分だけの考えではありません。相手もまったく同じように「自分は間違ってない」と考えています。
これで対立が起こります。対立は反目する関係となって、相手を嫌ったり、自分が相手から嫌われたりします。
怒りはこのように、1が「反射」で、2が「思考」です。
「思考なんだから、論理的に考えているんだから、客観的で冷静だ」と思うのはほとんどの場合、大きな勘違いです。
自分を正当化するための思考である限り、その思考は自分を守るために自動的にしているものであって、それを客観的ということはできません。
「情動のハイジャック」という言葉があります。
これは、自分を守りたいと感じて攻撃的になったり、逃げたり、無視したりするモチベーションのもとになる「扁桃体」という脳の部位が、真に冷静、客観的で、理性的になれる「前頭前野」という脳の部位を支配してしまうことを表す言葉です。
怒りが人間性をハイジャックして支配してしまうんです。
その状態では、人間性を失ってしまうことにもなりかねません。だからそこで「怒りを手放す」必要があります。
脳の中でも原始的な部位であり、個体としての自分を防御する扁桃体が、自分を守りたいという強力なパワーで、人間性を司る前頭前野が働かないように暴れるんです。ひどくなると前頭前野の脳細胞もやられてしまいます。前頭前野が働かなくなってくると、ただただ凶暴な思考しかできなくなったり、相手の存在を否定したり、あるいは、自分そのものまで否定してしまうというようなことも起こってきます。
そうなると考えられることは「自分は間違ってないから相手を謝らせるんだ」とか、「相手が間違っているのに認めようとしないんだから相手には生きる価値がないんだ」とか、また逆に「自分は間違っていて生きる価値がないから死んだほうがいいんだ」とか、とにかく破壊的な思考ばかりになってきます。
そんなつまらない思考でもどんどん続いてしまうことがあるのは、脳内にドーパミンが働いていて、「この方向で破壊的に思考を続ければその先に勝利というご褒美が待っているぞ!」と期待させてくるからです。
しかしその期待は成就しません。もし仮に成就したとしても、相手を殺して逮捕されるか、自分が自殺してしまうかといった絶望的な幕引きになるわけですから、社会的な信頼を失って、善良な人間としてその先の日常を生きていくことはできなくなります。
情動にハイジャックされたままでは、人間性を取り戻すことは困難を極めることになる、ということです。生き方として、最も暗く、苦しくて、つらい生き方になるんです。
そうならないようにするための第一歩というのがあります。
それは、「自分は今どんな感情だろう?」と、自分で自分を客観的に見て理解すること。そして、自分の感情が今こうなっている原因を特定するべく考えられること、そうして自分を理解できるようになるということ。それが第一歩です。
この第一歩ができれば、相手がどんな感情になっているかを理解するという第二弾への道が開けます。
アンガーマネジメントやEQのメンタルトレーニングでは、今の自分がどうなのか、常にわかっている自分になるということが何よりも先に求められます。
それがいつもできていてこそ、怒りを手放すことも容易になるんです。