昭和のころには、上司や先輩のお宅にお邪魔して飲んだり食べたり、なんてことが普通にありました。
令和の日本では、もうそんなことは滅多にないということになってきたんですが、原因として、ちょっと目立つものを二つあげたいと思います。
一つ目は、「人に迷惑をかけない」という「マナー」が最優先されるようになったことです。
平成15年ごろとか、それぐらいの昔のことでしたが、テレビで男の子がこんなことを言うのを見ました。
「悪いことというのは、人に迷惑をかけることです」
男の子は明るい子らしくニコニコしてそう答えたんです。「悪いことってどういうこと?」と、女性のレポーターか誰かに聞かれての答でした。
この答を聞いて、背筋がゾッとしたのを憶えています。もうすでにそのころには、「人に迷惑をかけてはいけない」というのが当たり前のように考えられていたわけです。
しかしこの考え方、このようなマナーを優先させてしまう考え方は非常に危険だと思います。人と人とのあるべき関係が歪んでしまうからであり、お互いに親切にするという人間関係の貴重な機会が失われるからです。
事実として、精神疾患は増え続けています。アパートなどでの孤独死という悲劇もなくなりません。近所づきあいがなくなったのは、気安い会話がなくなったからです。
私たちは身近な人たちとの無駄話や世間話によって心の栄養を蓄えます。その機会がどんどん失われてしまって、心が病んでしまうんです。
「人に迷惑をかけない」という考え方はなんとしてでもやめるべきだと思います。そんな考えは捨てて、「人に親切にする」だけで世間が回っていけば、心の病は見る見る減っていくはずです。
もう一つは、「価値観の多様化」を許容する「義務」が生じたことです。
昭和の昔には、「誰とでも腹を割って話し合えば理解しあえる」というのが常識でした。
私たち人間には「共通の価値観」があって、その価値観を共有することで相互理解はできるのだという考え方です。
しかし「それではダメだ」ということになってきたわけです。というのも、いろんな価値観があることは誰もが認めるべきであって、価値観がはっきり異なる相手とは棲み分けをすればいいということになってきました。
それだと、今までの気安く言葉を掛け合うということも「慎重に、気をつけなければいけない」という話に変わってしまいます。
ぱっと思ったことをぱっと口にするということが「マナー違反」みたいに考えられてしまうようになってきたということは、誰でも実感としてわかると思いますが、これで人間関係が急速に疎遠なものになってしまいました。
親子や兄弟であっても言いたいことが言えない。うっかり言えば疎ましく思われてしまう。反目してしまう。今の時代にはそういうことがあるんです。
これが家族以外の世間ということになると「迷惑をかけてはいけない」という「最優先マナー」も加わって、知らない人とは口をきいてはいけないというムードに支配されることになってきます。
職場などでは、手短に要件を伝えることを「良し」として、無駄話は「迷惑」とか「非効率」とする考え方に支配されやすくなってきました。
しかし私たち人間は、「要件」だけでは心を病むようにできているんです。
これだけ多くの人が心を病む時代になってしまったのは、以上のようなことが大きな原因だと見てさほど間違いではないと思います。
これから少しでも心の問題を恢復に向けるためには、「迷惑をかけてもいいから親切を最優先にする」ということと、「価値観が違っていても無駄話はいくらでもできる」ということを新しい常識にしていくことだと思います。
価値観の違いはそれほど恐ろしいものではありません。ましてや日本は全国民が平均値に近いとさえいわれているほどですから、極端に違う人とはなかなか出会わないんです。
人づきあいというのは、互いの価値観が違う方がむしろ面白いんです。