小学生のころ、または中学生のころ、私たちは大勢の先生方に接してきています。
そんな中で、「あの先生はすばらしかった」とか、「あの先生は嫌だった」という先生が誰にでもいるでしょう。
「あなたはどうしてその先生をすばらしい先生だと思いましたか?」
たとえばこんな質問をされたとして、あなたの答は…
「同級生との関係で悩んでいたとき、とても勇気づけてもらったから」
…などの答になるのではないかと思いますが、実はそれだけではなく、他にもいろいろと理由はあったはずです。
私たちは先生に対する「評価」をしてきたということになるんですが、その評価がどうやって決まったかというと、事前の情報や第一印象、そして実際に接してみての印象やかけてもらった言葉や表情など、さまざまな要因が複雑に影響しています。
そんな中で、その先生に対する好印象をはじめからもっていたかもしれませんし、その先生に対する何らかの期待もあったかもしれません。
勇気づけてもらうという大きな出来事が、「すばらしい」というその先生への評価を決定づけたのは確かかもしれませんが、そのように決定づけられるまでにどんな経緯があったか? という、さらに深いところでの理由もあったはずなんです。
この例のように、強い印象がある先生ばかりではありません。クラスや教科を担当してもらったことはなかったからほとんど言葉を交わしたこともなかったんだけど、それでもあの先生はすばらしい先生だったとはっきり評価できる、という先生もいるでしょう。
その場合は、なぜ?と問われてもはっきりとした理由は説明できません。ただ漠然と、あの先生の笑顔が良かったとか、話し方や態度が良かったといった印象しかないんです。
しかしそれでも、その先生に対する評価が「すばらしい先生」と決まったのには、それなりの決定的な要因があったはずです。その要因が自分で説明できるかできないかということとは別の問題として、私たちは無意識のうちに決定的な評価をしているということです。
そんな無意識の代表が「直感」なのかもしれません。
最新の脳科学を紹介する書籍、たとえば『あなたの知らない脳』(デイヴィッド・イーグルマン著)、『脳には妙なクセがある』(池谷裕二著)の中では、私たちの意思決定は、プロセスのほとんどが私たち自身の意識が届かないところで行われている、つまり、脳が無意識のうちに勝手に決めているという事実が紹介されています。
その無意識のうち、特にどのようなことが人物評価の要因になっているんでしょうか?
アンガーマネジメント静岡教室で開催している「アンガーマネジメントステップアップ講座思考編」では、怒り・イライラ・ガマン・あきらめといった感情の大きな原因として、私たち自身の相手に対する「要求」をクローズアップしています。
相手に対して何ら要求がないという場合には、相手の言動がどうであれ怒りもイライラも生じにくいという理論です。
私たちは家庭や職場などの人間関係において、いつも互いに何らかの要求をし合って生きていて、その要求が壊されたり妨害されたりした時に、怒り・イライラ・ガマンといった感情が生じるというわけです。
誰でも自分からは人に対していろいろな要求をしているわけですが、それが逆の立場となり、人から要求されるということになると、私たちは気分を害されたと感じるなど、嫌な感じを味わうようです。
小中学校の先生に対する評価でも、自分に対して「無理な要求」や「不当な要求」をしてくる先生に対しては評価が決定的に低くなり、自分に対して要求してくることがほとんどなく、ただ自分を理解してくれていたという先生に対しては評価が決定的に高くなります。
そのような評価の決定に、「要求」というものが大きく関わっているということです。
以上のように説明することは、ほとんどの場合できないことで、それは無意識のうちに「嫌な感じ」とか「いい感じ」というように感じていることなんですが、そうした無意識の判断をするということがつまり「直感的判断」なんですね。
良い評価をしてもらえる人というのは、人に対して要求せず、人を積極的に認めて生かそうとしている人です。
悪い評価をされてしまう人というのは、人に対する要求が多かったり強かったりして嫌な感じを与えている人です。
語弊を恐れず簡単にいえばそういうことになります。