「自分は現象の中にいる」という視点

やったことがある人も、ない人も、ちょっとここで、サーフィンをやることを考えてみてください。

波なら何でも乗ればいいというわけではなく、ボードの上に腹ばいになって、海のうねりを見て、どの波に乗ったらいいかを判断します。大きな波になりそうもなければパスして、次の波を待ちます。これだと思う波が来たら、一番良いポイントに移動してボードに立ちます。

私も実際にサーフィンをやるわけではないので正確なところはわかりませんが、およそそんなふうにして、長く続く波を選んで、それに乗るわけです。

波はサーファーが乗ろうと乗るまいとおかまいなしに、あくまでも自然現象としてザブン、ザブンと打ち寄せます。その自然現象に対して、サーファーは腹を立てることはしません。

上手に乗れなかった自分に腹が立つことはあるかもしれませんが、相手となる波に対しては、怒りもイライラも感じないということです。

雨についても考えてみてください。

天気予報が晴れと言っていたので傘を持たずに出かけたら雨が降りました。

ザーっと降ってきて自分をびしょ濡れにしてくれた雨という自然現象に対して、私たちは普通、腹を立てません。「晴れるでしょう」と言った天気予報に対しては腹が立つかもしれませんが、びしょ濡れにしてくれたのは雨であって、天気予報ではないんです。それでも雨に怒ったりイライラしたりすることはありません。

今度は、渋滞について考えてみてください。

道路は空いているだろうと思っていたのに、実際に走ってみたらひどい渋滞になってしまい、予定の時間には到着できそうにありません。

「なんでこんなに混んでるんだ?」

私たちはそこで腹を立てたりイライラしたりします。波や雨とちがって、相手が自然現象ではないからでしょうか。

でも同じ状況で、まったく腹が立たないし、イライラすることもないという人もいます。そのような人は、渋滞であっても、波や雨と同じような「現象の中にいるという視点」があると、そう考えることができます。

今度はさらに、混雑したスーパーで、レジの行列に並んでいるときのことを考えてみてください。

前の人が、合計金額が出てからやっと財布を取りだし、札入れと小銭入れからそれぞれに必要なお金を出すんですが、それがひどく遅くてイライラしてしまうということがあります。さらにそこでレジの係の人と無駄話を始めたりすると、イライラが殺意(?)になることもあります。

このような行列で、後ろの人がイライラするというのは、日本ではよくあることですが、ちょっと海外へ行くとそうでもないということがあります。レジの人と世間話をしたりしても、後ろの人たちはさほどイライラしていなかったりして驚くわけです。

どうやら日本では、レジでは「素早く支払いを済ませて1秒でも早く次の人にゆずる!」というのがマナーになっているようですが、海外の多くの国ではそれほど「厳しいマナー」はないんでしょう。国が違えばマナーも変わり、価値観にも違いが出てくるのが普通なんです。

私たちは日本で生活していますから、日本のマナーで暮らしているわけで、ここであえて海外のマナーをもってくる必要もないのかもしれませんが、アンガーマネジメントでいえば、そんなどうにもならないことでイライラしたくないわけですから、ここでも視点を「現象の中の自分」というところにもってきたいものです。

波も、雨も、渋滞も、レジの行列も、どれも同じように自分が対峙している現象だと考えます。

「アンガーマネジメントステップアップ講座思考編」で学んでいる脳科学ですが、私たち人間は、自分の思考や行動のプロセスを自分で全部意識できてはいません。

たとえば「歩く」という行為では、足の動かし方や体重の掛け方を意識しなくても、ちゃんと歩くことができます。それは脳が「裏方」として「無意識」の側にあって上手にやってくれているからです。

同じように、「思考判断」についても、私たちは自分で考えて判断していると思いがちですが、実際はそのプロセスのほとんどは、脳が「裏方」として「無意識」の側にあって判断を決定しています。

つまり何が言いたいかというと、私たち人類は、自分の言動のほとんどを無意識で決定しているということ。ということはつまり、レジでもたもたしている人の動作や思考も、ほとんどはその人の無意識がやっているということです。というのは要するに、その人のもたつきもその人の脳という物質による「現象」でしかないといえるんです。

そこでイライラしてしまうという私たちの「反射」もまた、私たちが意識できないところで脳が勝手におこなっている「現象」だということになります。

もたもたも、イライラも、波も、雨も、渋滞も、そのほとんど全てが「現象」であって、その「現象」について責任を問うには限界があるんです。

「ちょっとあなた、早くしてくれないかな?」

そんなふうに、前の人の責任を追及したくなるのも自分の脳による現象なんですから、前の人のもたもたという脳の現象を追求する資格はないということになりますよね?

私たちは、人間です。人間は、人間の中にあって共存して生きています。

それは、互いが互いの責任を問いあうということではなく、人間社会という大きな現象の中で自分の居場所を確保するために生きているわけです。

いい波が来るかな?

雨は本当に降らないんだろうな?

渋滞しないかな?

レジでの待ち時間は5分みておけば大丈夫かな?

そんなふうに考えて、現象の中でイライラしない視点を持ちつづけたいものですね。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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