マインドフルネスな仕事

怒りやイライラ、逃避衝動などは、脳の扁桃体というところに生じる反射から来ているといいます。

それを抑制しようとしたり、より良い方法を考えたりするのは、脳の前頭前野の仕事ですが、前頭前野は人間のような進化の進んだ動物では大きく、その逆では小さいそうです。

怒り、イライラ、逃避衝動などの、いわゆる「情動」というものは、動物の進化の程度にかかわらず、自分の身を守るために必要である一方、人間らしさ、協調性、マネジメント能力などの前頭前野は、その「情動」が本当に必要なものかどうか、とか、その「情動」よりも大事なものは何だろうといった、いわゆる「理性」をつかさどっているわけです。

アンガーマネジメントでも、マインドフルネスでも、暴れようとする情動をコントロールし、人間らしく、互いに尊重しあって生きることを目標としています。だから、前頭前野を強くすることが目的だというわけです。

マインドフルネスでは、邪念や雑念を取り払って、本当に必要な、今ここでしっかりと認識すべきことに集中する、その集中力を鍛えることが目的となりますが、それはなにもかしこまって瞑想などしなくても、私たちは私たちそれぞれの日常の中で鍛えることができます。

この集中力を鍛えるということが、すなわち、扁桃体の暴走を抑える力を鍛えることになり、人間らしさをいっそう高めることになります。

日常の中、たとえば、日々の仕事をふりかえってみてください。

食事の支度や洗い物、掃除、洗濯、身支度など、毎日必ずやることについては、どんな気持ちでやっていますか?

日々の家事だけとってみても、やることはひとつではないので、比較的好きな仕事があれば、比較的好きではない仕事というのもあるんじゃないでしょうか?

家事は全般に好きではなくて、外に出て働くことの方が好きだとか、外に出て働くのはいいんだけど、通勤などの移動が好きじゃないとか、あるいはその逆だったりとか、人によってそれぞれに、苦手な仕事、嫌いな仕事というものをもっているのが普通だと思います。

その一方で、そういう好き嫌いがほとんどなく、どんな仕事であっても同じように、誠心誠意自分の頭と体を使い倒して働いて、それがとても心地よいと感じている人もいます。

そのような人は、周囲の人々からの信頼が厚く、とても尊敬もされていて、いつも自然に、その人を囲んで人の輪ができています。

私がまっさきに思い出すのは、母校の校友会で何度かお会いしたことのある、テレビコマーシャルや映画の監督をされている中島信也さんです。

中島さんは、カップヌードルの「ハングリー?」という、あのCMで大きな賞を取ったり、サントリー伊右衛門のCMで、私たち日本人をはっとさせてくれたりしているので、その仕事は誰でもご存知だろうと思います。

芸術的でさえあり、そんな大きな仕事をしている、日本一とも世界一ともいわれるCMディレクターですから、もしかしたら気難しくて近寄りがたい人なのかなと思われるかもしれませんが、実はその正反対で、校友会の総会が終わったあとの懇親会では、開場の準備から、全国から集った支部長たちとの懇談、そして開場の後かたづけまで、ご自身でどんどん積極的に手足を忙しく動かして働きまわっておられました。

きっとこの会場に来る直前まで、ご自分の仕事やマスコミ取材などで、分刻みのスケジュールに違いないと想像するんですが、懇親会で私などが話しかけても、曇りのないまっすぐな眼差しで、誠意をもってお話ししてくださったものでした。

この中島信也さんのような人こそが、マインドフルネスそのものだと思います。

私などがもし逆の立場だったら、ここは仕事じゃないんだからテキトーにやっておこうとか、学生だっているんだし、片づけは若い人たちにまかせておこうとか、そう思ってブラブラしていたと思います。

どうしてそんなふうにブラブラしたくなるかといえば、マインドフルネスではない、自分だけの思考や感情の方を優先させてしまい、マインドフルネスであるべき今ここにある大事なことというものが見えなくなってしまっているからです。

苦手だなあとか、やりたくないなあという仕事というのは誰にでもあるものですし、自分が疲れているときとか、ちょっと眠いなあというときなどには、仕事全般に対してそんな思いが強くなってしまうものです。

だから、そんなときこそが、マインドフルネスの集中練習にとっては絶交のチャンスなんですね。

長い距離を歩いて足が棒になってるけど、まだまだ歩かなければならないというような時は、歩きつづけてくれている自分の足に意識を向けて「おお、まだまだ歩いているぞ。ずいぶん歩いたはずなのに、自分の足は偉いなあ、すごいなあ、ありがたいなあ」というように、自分の意識が自分の足の観察者になって、感心したり、感動したりしていると、足は不思議と疲れることなく歩きつづけてくれたりするものです。

部屋にホコリがたまってきていて、掃除しなきゃとは思うけど、ちょっと面倒だなあというようなときも、自分の意識を自分の手足に向けて、自分の手足は勝手に動いて掃除をしてくれると考えてみてください。

もしそこで、「面倒だ」「動きたくない」「もっと休みたい」などの、自分だけの思いや感情が強く働いてしまうと、せっかく動くようにできている手足が動かなくなってしまいます。

でも、そんな思いや感情(雑念、邪念)を取り払って、ただ自分の手足とその働きだけに意識を向ければ、手足はちゃんと働くことができるんです。

このように、まるで中島信也さんのように、ただまっすぐに曇りのない目で、今すべきことだけに集中するというのが、マインドフルネスのエクササイズです。

きっと今から、すぐにでも、実行できるんじゃないでしょうか。

【追記 2017.11.11】
中島信也さんのラジオ番組でも、茂木健一郎さんをゲストに「マインドフルネス」についてお話されていました。脳科学の茂木さんも、このコラムと同じように「中島さんはマインドフルネスができている!」とおっしゃってます。
『なかじましんや土曜の穴』(文化放送)
*ポッドキャストで今すぐ聞くこともできます。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。