1970年代にアップルコンピュータを立ち上げ、1980年代までに会社を飛躍的に成長させる手腕を発揮したもののいったん退職。1996年にアップルに復帰して、iMac、iPod、iPhone、iPadなど、爆発的なヒット商品を次々に送り出してきた天才的な経営者、それが誰でも知っているスティーヴ・ジョブスです。
iPhoneやiPadは、その後の世界中の人々の生活を変えてしまったという、単なる工業製品を超えた人類の偉大な発明品のひとつですから、その功績の途方もないことはいくら語っても語り尽くせないでしょう。
我が家でも1990年代からマッキントッシュコンピュータを愛用し、ジョブス復帰後のアップルコンピュータから発売されたiMacは3台も購入し、私自身も二十数年来のMacユーザーで、MacでAd(広告)を作るAdmacという社名で会社を始めていますから、ジョブスのいなかった人生なんてありえないということになります。
そんなジョブスですが、2011年10月、わずか56歳でこの世を去ってしまいました。
そしてそれから4年後の2015年、次のような文が「スティーヴ・ジョブスの最後の言葉」としてネット上に出回りました。
Steve Jobs’ Last Words
I reached the pinnacle of success in the business world. In others’ eyes, my life is an epitome of success.
However, aside from work, I have little joy. In the end, wealth is only a fact of life that I am accustomed to.
At this moment, lying on the sick bed and recalling my whole life, I realize that all the recognition and wealth that I took so much pride in, have paled and become meaningless in the face of impending death.
In the darkness, I look at the green lights from the life supporting machines and hear the humming mechanical sounds, I can feel the breath of god of death drawing closer…
Now I know, when we have accumulated sufficient wealth to last our lifetime, we should pursue other matters that are unrelated to wealth…
Should be something that is more important:
Perhaps relationships, perhaps art, perhaps a dream from younger days
Non-stop pursuing of wealth will only turn a person into a twisted being, just like me.
God gave us the senses to let us feel the love in everyone’s heart, not the illusions brought about by wealth.
The wealth I have won in my life I cannot bring with me. What I can bring is only the memories precipitated by love.
That’s the true riches which will follow you, accompany you, giving you strength and light to go on.
要約を日本語で書いてみます。
私はビジネスの世界で成功の頂点を極めたから、人々の目には私の人生は成功者の典型となるだろう。しかし、ビジネス以外では楽しいことは少なかった。死の迫る病の床にいると、私のプライドであった成功も富も色あせ、意味をなさないものでしかない。今やっと気づいたのは、富と成功を追い求めるのではなく、もっと大切なものを追求すべきだったということだ。富の追求などは、私のようなねじくれた人間を作り出すばかりだからだ。死を前にして、私が持って行けるのは富でなく、愛によって得られた思い出だけだ。それこそが永遠の、本当の豊かさなのであって、それこそが君に強さと光を与えてくれるものなのだ。
これを読むと確かに、ジョブスは世界で最も成功したビジネスマンですから、このような文をもしかしたら書いたのかもしれないと考えてしまいますが、後に判明したのは、この文は偽物だったということ、ジョブスが書いた、あるいは話したものではなかったということです。
にも関わらず、この文は「ジョブスの最後の言葉」として、各国語に翻訳もされて、世界中の人々を感動させてしまいました。
「死にゆく者の見た真実」というテーマにおける「富や成功よりも家族愛が尊い」という結論が、誰の心にも真理と受け止められたんだろうと思います。
「スティーヴ・ジョブスは、富と成功ばかりを追い求めて短い人生を送ってきたわけではない」というのが事実です。アップルの最高経営責任者に就任したジョブスが、その報酬を年額でたったの1ドルしか受け取っていなかったこともよく知られています。もちろん、役員報酬以外のところで莫大な利益を得ていたことも事実ですが、そもそもこの「偽の文」の最大の間違いは、「富と成功」と「愛」という二つを対立する概念としてしまっていることでしょう。
また、ジョブスの遺した本当の言葉の中にはこのようなものもあります。
“Being the richest man in the cemetery doesn’t matter to me … Going to bed at night saying we’ve done something wonderful … that’s what matters to me.”
墓地の中で一番の金持ちになるなんて意味がない。毎晩寝る前に「今日もすばらしいことができた」と思えることこそが大事なんだ。
「すばらしいこと」というのは、必ずしも仕事のことだけではありません。家族と過ごすこと、友人とわかりあえること、世界の人々とつながっていると実感できることなど、世界中の人々にとって大事なことは、ジョブスにとっても大事なことだったんですね。
一日一日を大切に思って生きてきたジョブスの人生は、「きょうは一日を充実したものにできるか? きょう死んでも悔いがないほどに充実させられるか?」という、彼が毎朝繰り返してきた自問そのものだったんでしょう。
ジョブスが一番嫌ったのは、「不本意」であり、「不本意を容認すること」でした。そんな生き方じゃダメだというジョブスの思いは、遺されたたくさんの言葉の中から強いインパクトをもって伝わってきます。
競争にさらされつづける仕事のことだけではなくて、大勢の人々と共に歩みつづける一人の人間として、不本意を嫌って充実と満足を追い求めたというのがスティーヴ・ジョブスの真実であると、彼について少しでも知ることができれば誰にでも理解できるはずです。
若いころから仏教に傾倒し、仏教の信者でもあったスティーヴ・ジョブスですから、人生に何が一番大事なのかということを見誤ることはなかっただろうと思います。
今、アップル社やグーグル社で盛んに行われているというマインドフルネスも、ジョブスの生き方そのものだったわけです。
マインドフルネスとは仏教の修行法のひとつで、サティ(正念)を英訳したものです。ヴィパッサナー瞑想という、自分の意識をありのままの今に向ける瞑想がその修業の方法で、一般には瞑想という形で行われますが、必ずしも瞑想というスタイルを取らなくても、日常のあらゆることで、自分を取り囲む様々な事象に対峙して、対象となる事象そのものを正しく見て感じて理解することを目的としています。
それには「自分の頭の中にだけある思考や感情」を取り払うことが不可欠になってきます。
ジョブスも瞑想はしてきたわけですが、瞑想そのものが目的ではなく、瞑想をしない時にでも同じように、対象に意識を集中させて、対象を正しく、深く理解することの重要性がよくわかった上で生きてきたはずです。
スティーヴ・ジョブスには、非常に高いレベルでのマインドフルネスができていたのだろうと、改めてそう思うところです。