魂=きずな

神=情報
情報=ホログラフィック原理における物質ではないもの
情報=万物の創造主;唯一の存在であるとともに全ての存在

宇宙は物質的無から始まり物質的無に帰るが、情報だけは永遠に存在する。

物質ではない情報は「数」「量」「個」「全体」「部分」などで
とらえることはできないので、理解するにはそこに注意が必要。

人の本質=魂

であるなら、

人の本質=人間性=社会性
社会性=魂
社会性=きずな

(以上、メモ)

つまり、人と人とを結ぶ「きずな」こそが「魂」であるということになります。

「物質的存在のあり方:I」(情報)が「物質的存在:M」(物質)を決定します。

人のあり方とは「人間性」という本質であり、それが「きずな」であるということです。

この「きずな」は、「個」や「数」や「量」ではないものとして理解する必要があります。

「きずな」は「全存在」であり、「きずな」は「あらゆる存在」でもあります。

「きずな」が「個人」という「個」に宿ったのが「人」だということになります。

* *

つまり、私たちひとりひとりの魂は「きずな」であるということです。

これが原理だとすれば、この原理に沿う生き方が「正」であり、この原理に反する生き方が「邪」であるということもいえるかもしれません。

「善悪とは何か?」「なぜ人を殺してはいけないのか?」「なぜ家族を大事にしなければならないのか?」「戦争をしてはいけないのはなぜか?」・・・

これらの問いに対して、従来はそれぞれの「立場」から、その立場を正当化するための議論がおこなわれてきたものと思われますが、「きずな」を「絶対的な本質」と見ることによって、そうした議論にもはっきりした結論が出るはずです。

たとえば今の世界では70億人を超えてまだまだ人口が増え続けていますが、「食料資源や自然環境が有限である以上は、人口を減らすための行動も正しいというべきだ」といった議論も「間違いだ」ということになるのではないでしょうか。

もちろん、単純な話ではないのかもしれませんが、私たちの脳は、単純化しないことには理解できないようにできていますし、単純化して理解しないことには、延々と悩み続けるしかありません。

有史以来のこの五千年が、大量殺戮をともなった困難と苦悩の時代だったとするなら、七十数億の私たちはそこから解放されたいはずだということに異論はないはずです。

Akira Okitsu
【興津諦プロフィール】昭和35年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。認知科学研究、語学教育、文筆活動、アンガーマネジメント・メンタルトレーニング、ウェブサイト、グラフィックデザインなど、共感を得るための広範なコンテンツ開発を専門とする。平成6年大修館書店『言語』誌にて、時制や相に表れる認識の根本原理の存在を世界で初めて指摘。平成24年静岡商工会議所観光飲食部会にて地域資源発掘のためのテーマコピー「余ハ此處ニ居ル」を発案後、久能山東照宮神廟の研究に関わることとなり『季刊すんぷ』を発行。平成27年静岡市公式観光サイトの主要コンテンツ『極楽都市しずおか』を企画制作。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】■『日本語入門』(平成5年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社)■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』平成6年12月号)■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(平成10年新風舎出版賞受賞)■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(平成23年〜24年SBSラジオ)■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(平成25年アドマック出版)■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(平成25年アドマック出版)■『余ハ此處ニ居ル ─ すんぷ特別版』(平成27年アドマック出版)

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