人は生まれてすぐ、遅くとも生まれた翌日には、共感を求めるそうです。
それは例えば、「お乳がほしい」とか、「不快だからなんとかしてほしい」というような養育者に対する「要求」を、声を上げて泣くなどする「感情表現」によって伝えてきます。
それを受けて父母などが乳を与えたり、抱いてやったり、おむつを替えてやったりします。
そして例えば、なにかに注意が向いて笑ったりします。
それを受けて父母などがいっしょに笑ったり、いっそう笑わせようとしたりします。
ひとつのことで一緒に笑う子供と親には、はっきりとした「共感」があります。
子供がいくら感情を表そうとしても、そこにいる親などが子供の感情を無視したり、あるいは感情を表されることを疎ましく思って無理に黙らせようとしたりすれば、共感とはまったく反対の「対立」が生じてしまいます。
「共感たっぷり」で育つことが、「愛情たっぷり」で育つことです。
「共感たっぷり」=「愛情たっぷり」によって、子供には「心の貯金」がたまっていきます。
「心の貯金」がたくさんある子供は、他者に対して共感することもできるようになりますから、誰からも信頼され、愛される人に育っていきます。
一方で、共感が不足し、「対立」を多く味わって育つ子供には「心の借金」のようなものが増えていきます。
心に借金を抱えた子供は、自分が感情を表しても「対立」になるだけだという経験を積んできていますから、素直に感情を表すことができなくなっています。
それと同時に、他者の感情表現についても、素直に受け止めることができません。
心に借金を抱えた子供は、ますます共感に恵まれなくなっていくわけです。
しかしそれでも本当は、親など、他者との共感がほしくてほしくてたまりません。
「自分が一番ほしいものは共感なんだ」というのは、人間であれば誰にでも共通した絶対的な「事実」です。
にもかかわらず、「心の借金」を抱えた子供というのは、「共感なんか求めれば対立というお仕置きに見舞われてしまう!」という嫌な経験ばかりをしてきています。
だから、「自分が一番ほしいものは共感なんだ」という「事実」がありながら、共感を求めることすらできなくなっているわけです。
「共感できること/共感できないこと」、「共感がたっぷりあること/共感が不足していること」、「共感を求めたいと思うこと/共感を求めたいけど怖いと思うこと」・・・そうした「自分の本心」について、私たちは誰もが無意識のままで生きています。
それは無意識下にあることで、自分から意識の表にもってくることは困難なんですが、ここに書いたような事実を今あらためて意識することによって、良い子育ては必ずできるようになります。
子育てはもう終わってしまった。もっと早くこれを知りたかったというご感想をいただくことがありますが、遅すぎるということはないと思います。
もう成人してしまった子供との関係を、今はじめて手に入れたこの意識によって、いくらでも修復することができるはずですし、それは親子関係にとどまらず、夫婦関係や友人関係、または職場での人間関係にも生かすことができるはずです。
「EQ(心の知能指数)を上げて充実した人生を送る」ということは、この意識にかかっています。
この意識から、意志が生まれます。
意志とは、「身近な人を生かしていく!」という意志です。
参考文献:『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン著