天皇陛下の生前退位ということになり、先日の4月1日に、来月2019年5月から使われることになる新元号が「令和」と発表されました。
法的な手続きについては、きっと問題なく行われたことなんだろうと思いますし、出典が『万葉集』だということで、歓迎する人が7割を超えているとも報道されていますから、国民の総意としても問題ないのだろうと思います。元号制定を主導した安倍内閣の支持率も上がっているそうです。
そんな中、「この元号には問題あり!」なんて言うと、「何言ってんだ?」「空気読めよ!」というような反応をされてしまうこともあって、批判を控える人がおそらく多いのだろうと思いますが、自民党の石破さんが「説明してほしい」という声を上げているそうです。
一体なにが問題なのでしょうか?
実は私も、最初に発表された瞬間、違和感を覚えた者のひとりで、それが私だけだったかといえば、身近にいる家族や友人たちもみな同じ違和感を訴えていました。
どこに違和感があったかといえば「令」の字です。
1978年に初版が発行された藤堂明保編集による『漢和大辞典』(学研)によれば・・・
令 リョウ(呉音)・レイ(漢音)
【常用音訓】レイ「令状・号令」
【意味】①《名》神のお告げや、君主・役所・上位者のいいつけ。▷清らかなお告げの意を含む。「勅令」「軍令」
②《名》おきて。お達し。「法令」「律令」
③《形》よい(よし) 清らかで美しい、▷相手の人の妻・兄弟を尊んでいうことばとしても用いられる。「令聞(清らかなことばや、よい評判)「令室」「令兄」「令妹」
④《名》おさ(長)。「令尹(楚の宰相)」「県令」
⑤《名》遊びごとのきまり。「酒令(作詩・なぞあてで、はずれた者に罰杯を命ずるきまり)
⑥《動》命令する。「不令而行=令せざれども行はる」[論・子路]
⑦《助動》しむ・せしむ 使役の意をあらわすことば。させる。▷「令+A(人)+B(動詞)の形で用い、「AをしてBせしむ」と訓読する。命令してさせるの意から。平声(ヒョウショウ)に読む。【類】使。「吾令人望其気=吾、人をしてその気を望ましむ」[史記・項羽]
⑧《助動》仮定の意をあらわすことば。もし…あらしめたらば。
⑨「小令」とは、南宋から明代にかけて流行した詞曲のうち、詞の短いもの。
【解字】「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまずく姿」の会意文字で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまをあらわす。清く美しいの意を含む。もと、こうごうしい神のお告げのこと。転じて長上のいいつけのこと。また、冷(清らかな水玉や氷)━玲(清らかな玉)━伶(清らかな人)━靈(=霊。清らかな巫女。祭礼、魂)と同系のことば。【古訓】オホセコト・カナフ・セシム・ツク・ノリ・メス・ヤシナフ・ヨシ・ヲシフ(観名)
・・・というのが「令」の字の説明全文になります。
簡単にまとめると、「令」の字本来の意味としては「神や君主の宣告が伝えられること」であり、その場合の「神や君主」というのは「絶対的存在」であり、そこから宣告を受けるのですから、そうした前提があって「ありがたいこと」「絶対に従うべきこと」「良いこと」「美しいこと」という意味が派生してくるということです。
たとえば「令嬢」という尊敬語がありますが、これは高貴なる相手の娘さんという意味であって、相手が高貴でないという場合には使われることはない、あるいは、使われたとしても「大げさ感」があったりします。
出典となったという万葉集を見ておきましょう。
「天平二年(西暦730年)1月13日(旧暦)に、大宰府の長官(大宰帥)であった大伴旅人によるもので、大宰府政庁の近くにあった邸宅で催された宴の様子を表しており、「梅花の宴」とも呼ばれる」(以上WIkipediaより)『万葉集巻五』の中の『梅花歌三十二首 并序(序文)』です。
これをもって「令和」の出典とするということです。
以下が、その序文のテキストです。
梅花歌三十二首并序
天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香加以曙嶺移雲松掛羅而傾盖夕岫結霧鳥封縠而迷林庭舞新蝶空歸故鴈於是盖天坐地 促膝飛觴忘言一室之裏開衿煙霞之外淡自放 快然自足若非翰苑何以攄情詩紀落梅之篇古今夫何異矣宜賦園梅聊成短詠
この序文から「令和」になった字(3字めと8字め)を含むのが、以下の8字です。
初春令月氣淑風和
初春の令月(れいげつ)にして気(き)淑(よ)く風和(やわら)ぎ
「令月」という語の意味を改めて読み解いてみれば、ここにも「神仏など絶対的存在から賜った清く美しい月」という意味であると見て何ら矛盾はないものとなります。
漢和大辞典にあった意味の①「神のお告げや、君主・役所・上位者のいいつけ」と②「おきて。お達し」というのが、第一義となる意味であって、それは要するに「お告げ、言いつけ、おきて」であり、それを絶対的な正義であり、否定や拒絶は決して許されないこととする前提において、「清い」「美しい」といった意味が成り立つということになるわけです。
またそこには「絶対に従うべきこと」という意味が含まれ、私たち現代人の生活においても「法令」「命令」「司令」「号令」といった語にあるように、私たちの言動に対して拘束力のある「オーダー」というものが「令」の意味になっています。
ですから先に引用した大漢和辞典の中の、意味の③「よい(よし) 清らかで美しい」というのは、令の第一義となる文脈から切り離して成り立つ意味ではないと考えるべきではないでしょうか。
そう考えれば「令和」とは、「絶対に従うべきありがたいこと」という文脈においてのみ「美しい和」という意味になってきます。
最初に「令和」の二字を見て覚えた違和感とは、なにもそう感じた人の無学によるものでは決してないわけです。
違和感とは、私たちが「令」の字に、姿勢を正すべき特別な拘束力があると受け止めたからであり、それは当然の、正しい反応なのです。
しかし、違和感をもって受け止めた私たちも、「まさかそんな意味の元号でこれから暮らしていかなければならないとは思いたくない」という心理が働きます。
そんな心理に優しくこたえてくれるかのように、菅官房長官は「令和」の発表に続けて、次のように説明しました。
「令和は、万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして気(き)淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす』から引用したものであります」
菅官房長官によるこの説明は、私たちが感じた違和感を解消するものであった、というよりも、他に選択肢のない中、「令和」という唯一にして絶対の「元号」を受け入れるしかない私たち自らが、この説明に救いを求めたということです。
「万葉集」という、日本人なら誰でも肯定的に受け入れる古い歌集に典拠があり、その典拠が(漢文という難しいものではありましたが)「初春の令月」「風和らぎ」「梅」「蘭」といった、いずれも普遍的で美しい春の景色を歌っているということがわかるにいたって、違和感を感じていた私たちも急速に和らいだ、つまり、菅長官の説明を歓迎をもって受け止めたのです。
続けて安倍総理が「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められています」という説明をしてくれました。
この説明も和らいだ違和感を解消へと向けるものになったわけですが、それも、絶望的な思いから優しく救われ、さらにむしろ良い意味であり、良い時代を生きることができますよという「安倍さんの説明」を歓迎するより他に選択肢がなかったからでしょう。
絶望的な違和感、困惑が無意識下に生じ、それを希望へと変えてくれた、それが菅長官と安倍総理の説明だったわけです。何の説明もない「令和」では救われなかった私たちは、政府説明によって「希望」という最高の贈り物をもらったのです。
(だからこれは、ストックホルムシンドロームの類なんでしょう)
しかし、だからといって、「令和」の意味が根本から変わるというわけではありません。
それが良いものへと変わるのだとすれば、それは政府説明という政治的な力によるものであって、「令和」以外の選択肢を持たない私たちが救われる唯一の道というのは、「令和」に感じた違和感を完全に捨て去って、政府の説明を絶対のものとして受け入れることなのです。
他に選択肢はありません。「令和」は、法的になんら問題はなく、天皇陛下にも、皇太子殿下にも、私たち国民にも、代案という選択肢が一切存在しない、唯一で、絶対的な元号だからです。