ノンバーバルコミュニケーションのすすめ

「バーバルコミュニケーション」は言葉によるコミュニケーションで、「ノンバーバルコミュニケーション」といえば言葉によらないコミュニケーションのことです。

今どきの私たちは、実はあまりに言葉に依存しすぎているところがあるようで、昔は「電話じゃわからないから会いに来い!」なんて言ったもんですが、今どきは電話すらしなくなってきて、ライン(?)とかSNSとかによるテキストコミュニケーションが主流(?)になってきているようなところさえあります。

どうして昔は「電話じゃわからないから会いに来い!」なんて言ったのかといえば、顔が見えないからです。電話の声だけだと、相手がどんな表情でしゃべってるのかわからないことがあります。相手の顔が見えなくて表情がわからないと、相手の気持ち・感情がどんな様子なのかがわかりません。

顔の表情というのは、電話の声よりもよほど情報が多かったりするわけです。

たとえば赤ちゃんは言葉が話せません。それでもコミュニケーションができます。おぎゃあと泣いたり、きゃっきゃっと笑ったり、手をぶるぶる震わせて見せたり、足をばたばたさせたり、首をきょろきょろさせたり、そうかと思えばぼーっとしたり‥‥それをまたいろいろと組み合わせたり、タイミングを変えて見せたりということで、さまざまな感情を伝えてこようとするわけです。

それに対して、お父さんやお母さん、お兄さんやお姉さんが、赤ちゃんの感情表現に同調して喜んだりびっくりしたりすると、赤ちゃんはまたそれに反応して感情を表現します。

このやりとりができるということが、人間として正常に育っていくということになるんですが、もし赤ちゃんが感情表現をしても、まわりにいる人たちがそれを無視したり、疎ましがったりすると、赤ちゃんはコミュニケーションを阻害されることになって、それが続くと感情表現をやめてしまいます。そうなると成長に必要な愛情が不足することになって、心の借金をかかえてしまいます。

テキストだけ、要件だけ、良い悪いの判断だけ、結論だけ‥‥というようなコミュニケーションは、私たちが本当にしたいコミュニケーションではありません。

私たちは常に誰かと感情で寄り添ってあげたいし、寄り添ってもらいたくて生きているんです。それが共感というものです。

共感が不足した人は、それが大人でも子供でも赤ちゃんでも、精神面での健康維持が難しくなります。

私たちが好きな人は、自分と共感できる人です。

スマホ画面ばかり見るのも共感がほしいからです。

ところが、スマホ画面から得られる共感は、私たちが本当にほしい共感ではありません。

本当にほしい共感は、顔と顔をつきあわせて相手の表情をのぞきこみながら得られる共感なんです。

スマホ画面よりも、人ひとりの顔の方がよほどたくさんの情報があります。

それって実はすごく面白いことで、楽しいことで、嬉しくて、悲しくて、おかしくて、バカバカしくて、あったかくて、はずかしくて、こそばゆくて、なによりも尊い情報なんです。

その情報を有効に使って、人生を充実させること──、そのために私たちは人間をやっています。

人間の本質は、人の顔の表情を読み取って寄り添うことなんです。そのために私たちの脳は進化してきたんです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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