不幸な家、楽しい家

祖父母がいて、両親がいて、兄弟姉妹がいるという、そんな昔ながらの家でさえあれば楽しい家になるかというと、そうとは限りません。

昭和のころまでのそんな家にも、「意志」が不足していれば、「不幸」が住みついたものでした。「意志」の不足が「不幸」を生み出す。そんなふうに単純化して、家のあるべき形、その原型を考えてみたいと思います。

意志というのは、家族で互いが「楽しくいっしょに暮らす」ということを何よりも優先させて、互いの存在を積極的に認めようという意志です。

意志が不足するというのは、意志よりも「思想」や「考え方」、「振る舞い」や「言動」などを優先させて、家族の中で、誰かが誰かに強く要求をぶつけることが優先されてしまうことです。

その要求が、朝飯前にできるような簡単なことなら問題ありませんが、要求する側、たとえば父親などが、子供に対して無理な要求をつづけてしまうようなことがあると、子供は萎縮したり反発したりして、家の平和が壊れてしまいます。

父親などがその要求を、「良い子に育てるために必要なことだ」と考えているということがよくあると思いますが、その「考え方」が本当に正しいのか、その「考え方」によって子供がのびのびと良い子に育つのかという問題があって、その問題の存在を無視したままで要求をつづけてしまうことによって家には「不幸」が住みついてしまうのです。

不幸の原因は、常に無理な要求にあります。

要求する側が無理と思わなくても、要求される側が無理と感じれば、それは無理な要求です。

そのように、これは、とても単純なことなのです。

「要求が生み出す不幸」というものは、その無理な要求を放置することによって、際限なく大きく、重大なことになってきます。

行き着く先には、家庭の崩壊、親子の断絶、殺人、死体遺棄などがあって、実際にそのような事件が絶えません。

「どうしてこんな家庭になってしまったのか?」と悩んだり絶望したりする方向にいかないようにするためには、今すぐにでも、無理な要求をやめることだと思います。

互いに無理な要求のない関係こそが、私たち人間にとっての理想的な関係です。

そのような人間関係を築くのが、意志なのです。

要求したい気持ち、要求を通したい気持ちにまかせたり、日々の気分にまかせたりして暮らすのではなく、ここは少なくともひとつの家であり、尊い家族なのですから、互いに無理を要求しない、居心地のよい理想的な家族を築くこと、それこそが何よりも、どんな要求よりも優先されるべき「意志」になります。

特に、子育てというのは、「親が子を育てる」と考えないことが良いと思います。

親も子も、どちらもひとりの人間です。お互いが対等です。

育ててやる方が偉くて、育ててもらう方は偉くない、というような上下関係が優先されれば、理想的な家には絶対にならないと考える方がいいと思います。

子供というのは、育つものです。育とうとする子供を妨害しているのが悪い親であって、いくら「良い子に育てたい」などと一方的に考えても、その考えが育とうとする子供を押さえつけ、子供の健全な成長を阻害することが多いのですから、「親がどんな考えか?」「どんな考えでどんな子にしたいか?」などということはドブにでも捨ててしまいましょう。

良い子に育つために必須の環境が家だとすれば、家とは、子供にとって居心地が良く、毎日帰ってきたくなる家でなければなりません。

家とは、楽しい家でなければならないのです。

今すぐは無理だと思えても、無理な要求の方をやめることで、少しずつ、良い家、理想的な家に変えていくことができるはずです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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