結論に飛びつき、しがみつき、結論の奴隷として結論を死守する。
自分の結論のためなら大事な人も傷つけ、攻撃し、痛めつけてしまう。
これを「結論の奴隷」と呼んでいます。
「この子が悪い」という結論なら、子供を「しつけ」ること、「教育」すること、「叩き直す」ことを何よりも優先しなければならないと考えてしまい、子供の感情がどうであろうと、子供がいくら怖がっても、子供がどんなに不幸になっても、しつけや教育という大義名分のもと、虐待が行われたりするんです。
子供との関係で最も優先されるべきことは、【信頼関係】です。
信頼関係を築くためには、子供の感情に寄り添わなくてはなりません。
子供が仮に「悪いこと」をしたという場合でも、「それが本当に悪いことなのか?」「子供の感情を無視して鍛えるべきなのか?」と落ち着いて考えたら、「そんなに悪くないじゃないか」ということに気づくはずです。
「悪くないとはいえない。これは見過ごせないレベルで悪いことをしている」という場合でも、まず考えるべきなのは、「この子はどうしてこんな悪いことをしたんだろう?」ということです。
子供が本当に悪いことをした──例えば、よその子に乱暴をして怪我をさせてしまったというような、大人なら犯罪になってしまうようなことをした場合でも、そもそも子供は感情だけで生きている(感情をコントロールする脳の前頭前野の成熟は二十歳をすぎてから)ことを知っておかなければなりません。
私たち大人であっても、理性より感情を優先させて生きている人が少なくないんですから、子供に理性的になれとか、お兄ちゃんなんだからお兄ちゃんらしくしろとか、相手の気持ちを考えろといった、正論的な要求をぶつけたところで解決しないことがほとんどでしょう。
他の子にけがをさせるなどという悪いことをしてしまうのは、自分ではどうにもならない大きな不満を子供が抱えてしまっているためということも考えられます。
子供の不満というのは、親など、身近な人との信頼関係が得られていないことを意味します。
自分が「良いことを見つけた/思いついた」と思って親に知らせても、親が「つまらない」と返してくるとか、無視するとか、そういったことが積み重ねられてくることによって、子供はどんどんひねくれてきます。
これを「心に借金を抱える状態」と見れば、心の借金が多い子ほど、感情面(情緒面)でハンディキャップを抱えることになります。
親がいつも自分の感情に寄り添ってくれていると感じて暮らす子供なら、ひねくれたり、乱暴になったりすることも少ないのですが、そんな「恵まれた子」に対して「借金を背負わされた子」=「恵まれない子」というのがいるわけです。
恵まれない子は、恵まれた子を羨ましいと感じます。無意識のうちではあっても、自分も恵まれた子になりたいと思って不満を抱えているんです。そんな不満は、恵まれた子に対する嫉妬にもなります。
「あの子はいつも恵まれていてズルいのに、自分は恵まれていなくてかわいそうなのに、自分はきょうもまたイヤな思いをさせらている。こんな不公平は今すぐなくなってほしい。それなのに自分はきょうもまたイヤな思いをして暮らさなければならない」
無意識下のことであったとしても、子供の不満というのはこのような状態にあると考えることができるんじゃないでしょうか。
「悪いことばかりするこの子が悪いんだ」
もしそういう結論になっていたとすると、子供に対してしつけることや教育することしかできなくなってしまいがちです。
「この子が悪い」という結論の奴隷になって子供を鍛えるというのは決して優先させず、それよりも、子供の不満、子供の抱えている不公平感をなんとかして解消してやろうという意志を持たなければなりません。
子供の感情を理解する、子供の感情に寄り添うという意志です。
「悪い」という結論をいったん保留にして、むしろ「悪くない」という結論に切り替えて考えるんです。
「悪い」という結論は「フィルター」を作りますから、そのフィルターを外して、ありのままの子供の本当の姿、子供の本心、子供が自分でも説明できないでいる不満をまっすぐに受け止めて、子供の感情を理解し、子供の感情に寄り添うことが求められています。
それが親として、または教育者として最も優先させなければならない意志です。