良い親とは?

素晴らしい才能をもって生まれた子供を世界一に育てるのが良い親とばかりは限りません。

何かで世界一になったからといって、世界一幸福だとも限りません。

芥川龍之介や川端康成は自殺してしまいましたが、自殺で人生を締め括らなければならなかった人が幸福だったとはいえないはずです。

死ぬまで生きる喜びに満ち溢れ、身近な家族、身近な人々を愛し、大事にし、身近な人々との強い信頼関係を築いてきてこそ、本当の意味での幸福であるはずです。

闘争があって、それに打ち勝つことも、確かにひとつの人生だということで認めないわけにはいきません。

かのチャップリンも「人生は闘争の代名詞だ」という言葉を残しています。常に世界一であり続けた偉人にとってはきっとそうなんでしょう。

しかし偉人でない私たちは、偉人になれない代わりに、闘争に明け暮れる必要もないんです。

良い親とは、そのあたりのことをちゃんとわかっている親、ではないでしょうか。

子供が世界一になるよう心を鬼にして鍛える親というのも素晴らしいには違いありませんが、それは「世界一になる」という目的にはかなっても、「幸福になる」という目的とは外れてしまう、そんな危険と隣合わせなんです。

世界一になれる人はごくごく限られた人だけです。宝くじで何億円も手に入れることよりも、さらに確率の低い大勝負になります。

そんな危険を冒すよりも、まずは高い確率で成し遂げられる道を選び、その延長上に「人に勝る」可能性も見据えるというのが、子育ての手順でしょう。

高い確率で成し遂げられる道というのは、人との信頼関係を築くことです。

まずは親子での信頼関係、これが何よりも優先されます。

子供との信頼関係を築くことができる親、それが良い親だといっていいはずです。

子供が親を信頼するのは、そもそも生まれたときからの当たり前だったはずです。

おぎゃあと生まれとき、私たちは自分を育ててくれる親を疑いはしませんでした。生まれたばかりで何もできない自分を、親はきっと助けてくれる、乳を飲ませてくれ、病気や怪我に遭わないように保護してくれると信じて疑わなかったはずです。

それが育つにつれ、物心がつくに従って、自分の親は信頼できないかもしれない‥‥という疑念が生じるようでは、親が良い親ではなかったということになってしまいます。

生まれながらに親を信頼していた子供を裏切らないということ、それが親の条件でしょう。

子育てとは、子供が育つのを助けることです。

子育て講座などで日ごろ私が訴えていることがそういうことなんですが、「子供を育てる」と考えるから子育てが大変なものに思えてくるのであって、そもそも子供というのは親などなくたって育つものなんですから、育つ子供を助けるだけでいいと考えてくださいと、そうお願いしています。

教育するとか、鍛えるということは、子供との信頼関係が確かなものになってからです。

子供にしっかりと信頼されていないにも関わらず、子供を鍛えてやろうとか、教育してやろうとか考えるから、子育てに失敗してしまうんです。

これは子供たちを預かる保育士さんなど先生方にもいえることです。

怖い先生というのがいてはいけないとまでは言いませんが、怖いだけの先生などいない方がいいというのも確かです。

先生怖いけど、嫌いじゃないよ。

そう思われる先生ならいいんですが、怖くて嫌いと思われたらもはや先生の資格はないと思った方がいいでしょう。

子供にも先生を選ぶ権利があります。

それを認めていないのは、制度がうまくいっていないから、制度が間違っているからであって、子供が悪いということではありません。

親子となると、子供は親を選べません。

それでも、子供を教育するばかり、鍛えるばかりで、子供にまったく信頼されていない親だとしたら、その親は親権を放棄するべきでしょう。

体罰まではしていないからいいのかということではなく、子供に信頼されていないのなら、子供に精神的な虐待をしている可能性が高いからです。

子供はその説明ができません。子供が幼いほど、大人が理解するような論理的な説明はできないのが当たり前です。脳(前頭前野)がまだ未発達で、子供は感情でしか人を判断できないからです。

そして私たち大人もまた、人を判断する一番の優先事項は感情です。

どんな理屈で正しいと説明されても、感情的に納得がいかなければ、その人を良い人だとか、信頼できるとか判断することはできないんです。

私たちが一人前の人間となるためには、まずは子供から信頼される大人になることでしょう。

良い親とは、子供から信頼される親のことであって、子供の感情をちゃんと理解し、子供の様々な感情に共感できる親であるはずです。

もちろん、人生は長く、親子関係というのも十年や二十年では終わりません。

四十年、五十年と続くのが親子関係ですから、親が年をとって死ぬまでという長い年月の、その最期の最期までに、強い信頼関係が築ければいいんだろうと思います。

ものごとを何でもかんでも「今、今すぐ」と焦る必要はないということです。

今はなかなか信頼されていないという親でも、親子という【最も基本となる人間関係】において信頼を築くことを何よりも大事な目標と考えることさえできれば、きっといつかは良い親になれるはずです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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