ある男が雨の日にバスに乗ったのだが、乗客はイワシのように詰め込まれていた。 焦っているうちに、ふと誰かの傘の先が足首に触れるのを感じた。
振り返って、礼儀知らずの男に恩返しをしたいと思った。 しかし、車内が混雑していたため、振り向くことができなかった。 車が揺れると傘の先が強く突き刺さり、後で叱らなければならないと思うと怒りがこみ上げてきた。
大きな駅に到着し、何人かの乗客が降りると、彼は振り向く余裕ができたので、怒りを込めて傘の先端を靴で押しのけ、「礼儀知らず」の乗客に向かってできるだけ厳しい表情をした。 ところがそれは、男の傘の先ではなく、女性のステッキが足首に刺さっていたのだ。怒りは一瞬にして消え、足首もそれほど痛くないように思えた。
なぜ急に気持ちが変わったのか? そう、心境の変化だった。 男の怒りは、表面的には自分の足首を刺した「男」と「物」が原因で「この男は無謀で無礼だ」という思いから来ていたものだ。
ところが目の見えない相手だとわかったとともにに「考え」が変わり、同時に「気持ち」も変わったのだ。
『荘子』にもこんな話がある。「濃い朝靄の中、男が舟を漕いで上流に向かっていた。 ふと見ると、下流の方から小さな船が自分の方に向かってくるのが見えた。 今にもぶつかりそうなので「気をつけろ!」と叫んだ。 「危ない!」と。 それでも舟は真っ直ぐに向かってきてぶつかり、そのボートはほとんど沈んでしまった。
男は、ぶつかってきた相手に向かって大声で罵声を浴びせた。 しかし、よく見ると空の船であることがわかった。怒りは収まった。
上の階の人に水をかけられたら、その人を怒鳴りつけたり、悪口を言ったりしてしまいそうだ。しかし空が大雨を降らせて水浸しになったからといって、激怒することはない。
多くの場合、自分を傷つけるのは相手自身でみなければ、その物自体でもなく、自分がどう考えるかなのだ。事の大小は関係なく、大事なのは自分がどう思うかだということだ。
思考が変わらなければ、運命は変わらない。 思考が変われば、世界は変わり始める。
引用もと原文(台湾)*オリジナル不明?
https://meredith4534.nidbox.com/diary/read/7970586
轉念
一個人在下雨天搭乘公車,車上的乘客擠得像沙丁魚。在不耐中,他突然覺得某個人的雨傘尖碰到了他的腳踝。
他本想轉頭對那不知輕重的人還以顏色。但車裡實在太擠了,他根本無法轉身。
當車子搖晃時,那雨傘尖就刺得更重,他心中的怒火逐漸升高,心想等一下非好好訓斥對方一陣不可。
好不容易到了一個大站,下去了一些乘客,他終於有了回轉的餘地,憤怒地以皮鞋頂開那刺人的雨傘尖,然後轉身以最嚴厲的表情怒視那個“不長眼”的乘客。
結果他發現對方竟是一個盲人,刺到他腳踝的並非他想像的雨傘尖,而是她的拐杖!
他心中原本難以扼抑的一股怒火突然消失無蹤,而腳踝似乎也不再那麼疼痛。
為什麼整個感覺會突然轉變呢?沒錯,是想法變了。
表面看來,這個人的憤怒是起因於刺痛他腳踝的“那個人”和“那件事”,但其實是來自“這個人真魯莽又無禮”的想法。
所以,當他發現對方是個盲人時,他的“想法”變了,隨之“感覺”也就轉變。
在《莊子》裡也有一則故事,大意是這樣:
在一個煙霧彌漫的早晨,有一個人划著船逆流而上。
突然間,他看見一隻小船順流直沖向他。眼看小船就要撞上他的船,他高聲大叫:「小心!小心!」
但是,船還是直接撞上來,他的船幾乎就要沉了。
於是他暴跳如雷,開始向對方怒吼,口無遮攔地謾駡著。但是,當他仔細一瞧,才發現原來是條空船,因此氣也就消了。
如果你被樓上的人灑了一身水,你很可能會對他大聲叫喊;甚至大罵。如果天空忽然下雨把你淋濕,即便你是一個脾氣不好的人,也不會大發雷霆。
很多時候,事情本身不會傷害你,傷害你的是你對事情的想法!事情發生大小不重要,重要的是你的想法。
念頭不變,命運就無法改變,念頭一變,你的世界就開始變!