[やさしくする/要求する]そこが運命の分かれ道

道ばたで人が倒れた。
(自分は先を急いでいた)

その時、やさしくするか、迷惑だと思うか……

こんな簡単な二択ですが、どうにも困ったことに、迷惑だと思う人がいるらしい。そういうのを「世も末だ」と言う。

「倒れた」というほどでもないが、人が「困っている」という時はどうだろう? 例えばとても身近な人、例えば家族の場合。

自分でできることとできないことがある。
できないことを見て、「できて当たり前だから自分でやれ」と言う(または思う)のが、相手に対する[要求]だ。

本当にできなくて困っているなら、じゃあどうしたらできるかを考えてもらえばいい。そこで、教えるという行為が必要になる。それは[やさしくする]のうちに入れてもいい。

教えてもできない時、教えている暇がなかったという時は、やってやればいい。それももちろん、[やさしくする]のうちに入る。

「迷惑だ」「面倒だ」「自分でやれ」「無視」──こうした対応はすべて[要求する]になる。

要求することによって「相手が鍛えられるのだ」という考え方もあるが、もしそこに、感謝とか、共感とか、信頼が生まれないのであれば、相手との関係は悪化する。

険悪な関係というのはそうやって固まっていく。

どうせなら、心を暖かくしたい。幸せに暮らしたい。だから[やさしくする]が一番いい。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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