道ばたで人が倒れた。
(自分は先を急いでいた)
その時、やさしくするか、迷惑だと思うか……
こんな簡単な二択ですが、どうにも困ったことに、迷惑だと思う人がいるらしい。そういうのを「世も末だ」と言う。
「倒れた」というほどでもないが、人が「困っている」という時はどうだろう? 例えばとても身近な人、例えば家族の場合。
自分でできることとできないことがある。
できないことを見て、「できて当たり前だから自分でやれ」と言う(または思う)のが、相手に対する[要求]だ。
本当にできなくて困っているなら、じゃあどうしたらできるかを考えてもらえばいい。そこで、教えるという行為が必要になる。それは[やさしくする]のうちに入れてもいい。
教えてもできない時、教えている暇がなかったという時は、やってやればいい。それももちろん、[やさしくする]のうちに入る。
「迷惑だ」「面倒だ」「自分でやれ」「無視」──こうした対応はすべて[要求する]になる。
要求することによって「相手が鍛えられるのだ」という考え方もあるが、もしそこに、感謝とか、共感とか、信頼が生まれないのであれば、相手との関係は悪化する。
険悪な関係というのはそうやって固まっていく。
どうせなら、心を暖かくしたい。幸せに暮らしたい。だから[やさしくする]が一番いい。