私は正しいでしょ? 間違ってますか?

どっちが正しいか。
どっちが間違ってるのか。
それをはっきりさせたいという思いにとらわれたことは誰にでもあると思います。

それで最後に「自分が正しいと認めてもらえた」とか、「自分が正しいと相手に認めさせてやった」ということで「勝利する」という結末になればそれはそれでせいせいするということなのかもしれませんが、仮にそうなったとして、相手に敗北させ悔しい思いをさせたり、相手の恨みを買っているわけです。そうすることを望む自分というのは、決して美しい生き方をしているとはいえないんじゃないでしょうか。

「人生は勝つか負けるかのゲームだよ」なんていう考え方もあるのかもしれませんが、私たち人間の本質というのは、そういうところにあるとは思えないんです。

人間の本質が何なのかということについては、生物学や神経科学などによって答が出ています。

つまり、共存することです。人という生き物は、社会性をもって本質とする生き物であって、同じ人間どうし戦うというのは決して人間の本質ではないということがはっきりしています。

怒りにまかせて同じ人間を打ち負かし怪気炎をあげるなんていうのは、人間が人間でなくなった姿であって、そこには共存の原理も、遺伝子に刻まれた社会性も見えません。

「人間性を疑う」とか、「人間性を失っている」というとき、私たちは社会性を失った人の姿を見ています。

そのような人にはなりたくないというのが、時代も文化も超えて人類が共有する普遍的な価値観なんですね。

それでももちろん、私たちは時に争うことがあります。

争いの当事者になってしまい、何としても負けたくないということがあります。

しかしだからといって、相手を徹底的にやっつけるというモードになってしまうと、私たちはそこで自分の人間性を失うことになってしまうわけです。

アンガーマネジメントステップアップ講座「思考編」では、怒りという脳の反射に始まる「怒り思考」について考えます。

怒り思考というのは、「自分は正しい、相手が間違っている」ということについて、一生懸命に考え続けてしまうことです。

それを続けると、私たちは人間性を失うことになってしまうんです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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