気分と意志

『メンタリスト』というドラマにはまっています。すでに最終回まで見てしまったんですが、とにかく主人公パトリック・ジェーンのメンタリストぶりが素晴らしい。

美術品窃盗団の一員をFBIのチーム総出で罠にかけるエピソードでは、チームリーダーのアボットがバーのカウンターでテレビのスポーツ中継を見ているターゲットの横に「たまたま」を装って座り、「ちょっとそれ取ってくれ」をやるんです。

ターゲットは「はいよ」とばかりに取ってやるんですが、隠しカメラでその様子を見ているチームは「よし! うまい入り方だ!」と喜びます。

前回のコラムでも書きましたが、「何かをしてもらうよりも何かをしてあげる方が報酬系が活性化する」というアレです。

ターゲットはそれを取ってあげたことによって、「取ってくれ」と頼んだアボットに対して好意的になります。この場合は、見知らぬ男に対する警戒心が弱くなるということです。

エピソードはここから一気に展開していき、アボットはまんまとターゲットの男と意気投合します。

ここに教訓を加えるとすれば、「意気投合したからといって、相手を信じてはいけない」ということになるでしょうか。

たとえば、「恋愛で盛り上がったからといって夫婦としてうまくいくとは限らない」ということがありますが、意気投合するということはあくまでも「脳の反射」によるものであって、単なる「反射」で相手を「理想の人」と信じてしまうだけでは、そこから先に続く「移り気な気分」をカバーしきれないのです。

夫婦として最高の関係を続けるためには、「相手を理解する意志を持ち続けよう」という強い意志が欠かせません。

これが不足したまま「気分主体」でやって行こうとすれば必ずといっていいほど破綻が訪れます。

「脳の反射」が生み出した「愛」は、実は「愛」と呼ぶには心もとないものでしかないということです。

「愛」を哲学的に定義するなら「相手の存在を積極的に肯定しようとする意志」だということになります。

「意志」のないところには「愛」は成就しないということです。

「気分」と「意志」のこと、このコラムがあなたの理解を助けるヒントになりますように。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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