私たちは脳の反射にほとんど支配されているという状態で生きています。
「自分の言動は自分で客観的に考えて出した結論に従ったものだ」
というような考え方をしてはみても…
「意志・判断のプロセスのうち、自分で意識できるのは5パーセント」
というのが現実だそうです。それが脳科学(ニューロサイエンス)でわかってきていることなのだそうです。
たとえば、自分が「黒」だと信じていることに対して、「いえいえ、それは白なんですよ。理由もちゃんと論理的に説明できるんですよ」と説得されたとしても、自分の信じていることというのはなかなか覆りません。
私たちの脳は、私たちの無意識のうちに、「こうだ!」という決定を下してしまっていて、それがなぜそうなのかというプロセスについては、自分でもなかなか意識することができないんです。
たまに東京へ行って、ものすごい人混みの中に揉まれていると、行き交う人々の表情、態度、歩き方、話し方などが、人ぞれぞれに個性があって楽しいものですが、そんな人々の言動というものは、人それぞれが無意識のうちに見せてくれる言動です。
幸せな人ばかりなら良いのですが、おそらくは不幸だと感じている人もいます。さらに悪い場合には電車に身投げをして死んでしまう人もいます。
私たちは自分の言動を合理的なものにしたり、理想的なものにしたりすることが決して得意ではないんです。
それどころか、脳は私たちの無意識のうちに私たちの意識を支配します。
意識というのが私たちそのものですから、私たち存在は、脳に支配されて生きていることになります。
いくら脳に支配されたとしても、幸せに生きることさえできていれば何も問題ないんですが、脳に支配されることによって不幸な状態がますます悪くなるということも少なくありません。
悪い状態を良い状態に変えていく──。
なんとしてもそれを実現させたいわけです。
実現させるためには、脳に支配されたまま、つまり、脳の反射にまかせたままで生きるところから、ちょっとでもましな状態に変えていかなければなりません。
A思考ができるようになってくると、それが変わってきます。
そしてさらに、人を見る目も変わります。
脳の反射によって生きている人たちが、愛おしい存在に見えてくるんです。