プロフェッショナルとは神さまのこと

かつて三波春夫さんは「お客様は神さまでございます!」と言ったものでした。

それが頭にこびりついてきたためなのか、「客=神」というのが日本の常識みたいになってきたところがあります。

それには弊害もあって、「自分は客なんだ! お前はたかが店員だろう!」みたいに、威張りたがるお客さんが「自分は正しい」という怒り思考をエスカレートしやすいということがありそうです。

そんなマナーのない人は、神さまどころか客ですらないと思われてしまいますから、「自分は偉いんだ」の原因になっている「客=神」という考え方は、少なくとも自分が客になった時には忘れておきたいものですね。

以下は、むしろ店員こそが客の神になれるという話です。

NHKのテレビ番組で、さまざまな分野のプロフェッショナルを紹介してくれるものがありますが、その中でそれぞれのプロフェッショナルの方が「プロフェッショナルとは?」に対する自分なりの答を披露してくれます。

皆さん一流の方ばかりですから、その答にもさすがに説得力があって、なるほどと思わせてくれるんですが、答は人によってバラバラで、要するにプロフェッショナルって何? ということについては、人それぞれが自分なりに答を出すしかないのかもしれません。

そんなプロフェッショナルたちの答から、なんとか短くわかりやすく、誰の答とも矛盾しない「プロフェッショナル条件」というものを出すとすれば、それは・・・

客の望みを、客の期待以上のレベルでかなえること。

それは、客にとっての神になること。

・・・ということになるんじゃないでしょうか。

本物のプロフェッショナルになることができれば、お客さんは出すお金を惜しみません。お金を払った上に、深く心から感謝してくれます。

そしてそこにも、A思考が働いています。

つまり、本物のプロフェッショナルは、顧客の存在を積極的に肯定するA思考の人であるということです。

そんなA思考が仕事で成果を出した時、今度は顧客の方からプロフェッショナルに対して、はっきりとしたA思考が返ってきます。

仕事を依頼する段階では、「ああしてほしい、こうしてもらいたい」と、プロフェッショナルに要求するばかりだった顧客でさえ、プロフェッショナルが出してくれた成果によって心を大きく揺り動かされて、プロフェッショナルの存在の尊さ、ありがたさを感じて、これこそが神の業だとさえ思えてくる・・・。

そんなプロフェッショナル、神さまのようなプロフェッショナルに、私たちもなりたいものですね。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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