判断・評価、マインドフルネス・アンガーマネジメント。

私たちの脳には「自分を守るために反射する」という性質があります。それはまだ類人猿だったころから、いつ天敵に襲われるかしれないという、日々を危険と隣り合わせに生活していたころからの、脳にどうしても必要な機能だったんです。

また、脳科学で明らかになっていることに、「判断・評価のプロセスのうち、95パーセントは無意識が決めている」という事実があります。

無意識というのはつまり、自分が意識していない自分の性格によって、「好き/嫌い」とか、「うれしい/うれしくない」とか、「興味をもつ/興味がわかない」といった「結論」が先に決まってしまい、その「結論」を出すに至った「理由」というものがいろいろと複雑にあるはずなんですが、その「理由」のほとんどが「性格」という「無意識」によって決められてしまっていて、自分の意識だけではどうにもならないということです。

そして私たちの性格は、「遺伝」と「経験」によって決まってきたものなんです。

だから、特定の相手に対して「イヤだな」という気持ちになってしまうということがあるのだとすれば、それは無意識下にある性格がそう判断しているということで、それが「脳の反射」となって「イヤだ」という結論を先に出しているということになります。

今、話題のマインドフルネスでは、その「反射」を問題ととらえ、どうすれば「反射」から自由になって、より良い、より健全な精神状態が得られるかを追求します。

まずここで、「マインドフルネス」という言葉と意味について、しっかりおぼえておきましょう。

マインドフルネスは、英語で「Mindfulness」といいます。カタカナにした「マインドフルネス」は8拍、つまり音符にすると8つの音符になってしまいますから、日本語ではとても言いにくい単語だということになりますが、英語ではたった3音節の単語で、その3音節をなんとかカタカナにすれば「マインフォネス」。「マイン」で音符1つ、「フォ」で音符1つ、「ネス」で音符1つとしてください。

「マインドフルネス」で言いにくかった単語も、「マインフォネス」とすれば幾分言いやすくなりそうですが、そのような話はさておいて、というか、すでに「マインドフルネス」で通るようになってしまっていますから、音声学的にどうのと今さら言っても変えられそうにありませんから「マインドフルネス」でいきましょう。

この「マインドフルネス」というのは、仏教の「念」とか「正念」、インドパーリ語の「Sati」から来ています。それを日常の日本語にするにはどう訳すかというと、「気づき」とか、「思いやり」、あるいは「心がけ」というようなニュアンスになるかと思います。

マインドフルネスで目ざしているのは、先に書いたような「性格で決まってしまう自動的な判断・評価から自由になること」であり、また、「外部からの刺激に対していつも自動的にしてしまう思考・感情から自由になること」です。

もう少し詳しく言えば、「自分だけの判断・評価で物事を見ることがないよう、ありのままの相手や、ありのままの事象に意識を集中すること」です。

「イヤだな」と思う相手に対して、どうして「イヤだ」と思うかは、そもそも無意識下で決まっていることであって、自分ではコントロールできません。

そればかりか、相手の人が目の前に現れて、頭のなかで「あ、イヤだ」という判断・評価をしてしまうと、それをきっかけにして、相手のイヤなところばかりが拡大されて見えるようになります。

きっと過去に相手のイヤなところを経験してしまったために、「この人はイヤな人」という情報がインプットされ、自分の身を守るための警戒心が「自分だけの価値判断」として決められ、固定されてしまっているわけですが、それよりもっと以前はどうだったんでしょうか。相手のことをまだ知らないころというのがあって、その後、相手と知り合って、それからは普通の関係や良好な関係があったところに、あるとき、相手の人による「イヤな刺激」を受けてしまって、「あの人はイヤな人」という価値判断をするようになったということでしょう。

そのような「価値判断」をそのままにしておくと、その相手とは一生涯友達にはなれません。それどころか、さらにエスカレートして嫌悪感が強くなってしまったり、「生理的にダメ!」とさえ感じるようになったり、もっとひどい場合には憎悪が生まれたり、怨恨になってしまったりすることもあります。

そうなるととにかく、「ひとつの不幸」を抱えて生きることになります。相手の人がもし職場で毎日顔を合わせる人だったら、その不幸は私たちの心を蝕んで、精神疾患というところまでいくかもしれません。

そんな不幸をなくしていくこと、毎日を幸福で満たしていくことが、マインドフルネスの目的です。また、マインドフルネスのオリジナルだった仏教では、悟りに向かうための重要な修行です。

マインドフルネスではエクササイズを行いますが、そのエクササイズが基本とするのが、ヴィパッサナー瞑想(vipassanā-bhāvanā)という集中力を鍛えるエクササイズです。

どんなことをするかと簡単にいえば、「今ここにある呼吸など、自分が自分の体や外部の事象から感じていることだけに意識を集中する」ということです。

私たちの意識というのは、自分を守るための感情・思考に支配されやすいので、その支配から自由になることがマインドフルネスの目的です。

エクササイズとして行うことというのも、「瞑想」と呼ばれてはいますが、言葉をかえれば「集中力の訓練」ということになります。

ただし、自分勝手な思考を念じることに集中してはダメです。

「自分は強い、自分は強い、自分は強い・・・」なんて念じることではなく、「あいつ死ね、あいつ死ね、あいつ死ね・・・」なんて念じるのももちろんダメです。

自分が支配されてしまっている「イヤなこと」から自由になりたいがために、自分の中に無意識に現れる「評価・判断」をきっかけにした「思考・感情」を続けてしまうというのは、マインドフルネスでやろうとする「集中」とは正反対だとさえいえます。

アンガーマネジメント静岡教室で開催している「アンガーマネジメントステップアップ講座思考編」では、当初よりこのマインドフルネスのアプローチと脳科学からの必要な情報をベースにしていますが、他の教室や臨床心理学で採用されている「認知行動療法」の不足部分を補うには、マインドフルネスの集中練習が有効だと考えられています。

(ウィキペディア英語版の「Anger management」から私どもアンガーマネジメント静岡教室が2016年の11月に翻訳して新設された、ウィキペディア日本語版の「アンガーマネジメント」にも、そう書かれていますので、是非お読みください)

マインドフルネスで行う集中力の訓練は、自分の判断・自分の評価から自由になることが目的です。

たとえばどんな判断・評価を私たちがしているかといえば・・・

良い/悪い
好き/嫌い
面白い/つまらない
興味をそそられる/興味がわかない
謙虚だ/偉そうだ
きたない感じ/清潔感がある
落ち着いて接することができる/イライラさせられる

・・・というようなことです。身近にいる人に対して、自分が日ごろどのように判断・評価をしているか、ちょっと思いおこしてみてください。

様々な評価・判断のうち、相手の人や事象に対して、自分を高めてくれるものや、自分を喜ばせてくれるものだったら問題ないのですが、アンガーマネジメントで問題になる、怒り・イライラ・イヤな気分・ガマン・あきらめといった、自分を苦しめる原因になる評価・判断だったら、まずそれを変えてしまいたいものです。

「でも私はどうしてもあの人がイヤなんです。変えるなんて無理に決まってます」

そう思いたくなる相手というのもいます。それが誰でも普通のことなんですが・・・

「あのイヤな人って、私があの人と出会う前からそうだったかな? あるいは、私があの人と出会った直後からかな?」

ということも考えてみてください。そして・・・

「あの人がイヤな人なったきっかけは何だった?」

ということを思い出してみてください。

きっとそこには、「別にイヤな人ではなかった」という日もあったということがわかるでしょう。

もし「最初からイヤな人だった」ということでも、その「イヤな度合」が、きょうまでにどのように変化してきたかを思い出してみてください。

度合が1から10までだとして、最初は3ぐらい、それがあることをきっかけに一時期9ぐらいになって、また少し下がって・・・

なんてことがあるはずです。

そして、相手の人のイヤなところというのが、全て相手によるものではなくて、自分の判断・評価と、その判断・評価によっていつも始まってしまう思考・感情によるものだということに気づきたいんです。

そしてまず、思考を止めます。

これは、当教室の「アンガーマネジメントステップアップ講座思考編」で「怒り思考」と呼んでいる思考で、「悪いのは相手であって自分じゃない」「自分は正しい。ちゃんと理由だって説明できる」というような思考です。

そして、その思考を始めてしまうきっかけになっている判断・評価を、できることなら一旦まっさらにします。

相手の人に対して、相手の人が考えていること、相手の人が思っていることというのを、できる限り正確に想像します。

「相手の人は私のことをどう思っているだろうか?」
「相手の人は私をどうしようと考えているだろうか?」
「相手の人がもし私を嫌いだとしたら、その理由・原因はなんだろう?」

そのようなことを想像するなんて、今まで思ってもみなかったことに違いありませんが、その「思ってもみなかったこと」が「できないこと」かといえば、決してそんなことはなく、本気でやろうと思えば「できること」であるはずです。

それでも「いや、やっぱり無理だわ」と思われるのであれば、マインドフルネスで基本中の基本となる、「呼吸への集中」というエクササイズを試してみてください。

このエクササイズは、自分の呼吸だけに意識を集中する練習です。

「ああ、今吸ってる吸ってる・・・肺が空気で満たされていく・・・」
「今吸いきった。吐きはじめた。吐いてる吐いてる・・・肺から空気が出ていく・・・」

というように、自分の呼吸が行っていることだけに意識を集中させて、呼吸という、この私たちが生きていく上でもっとも大切な毎日の行為、それは眠っているときにさえ休むことなく、生まれてオギャーと言った時から死ぬときまで、ずっとずっと続けていく行為だけに、自分の意識を向けるんです。

日ごろの呼吸は、こんなに重大で大切なことなのに、私たちはめったに意識していませんが、今度はそれを意識するわけです。

その「集中練習」は、1回につき3分間ぐらい続けます。

たった3分、されど3分で、「呼吸だけに」と集中していても、ついつい、「他のこと」が頭のなかに現れます。

「そういえばこの練習・・・」とか。
「なんか匂う?」とか。
「まだ仕事あるんだよね」とか。
「ああまたイヤなこと思い出した!」とか。

そんなことが頭のなかに現れます。そして・・・

「やっぱり集中できてない! ダメだなぁ自分!」とか、「おっ、自分けっこう集中力あるじゃん!」とか、そんな「評価」はなんとしても、頭のなかから追い出してください。

そのような「別のこと」が頭に浮かんでしまったとしても、それに気づいたらすぐにまた集中を「呼吸だけ」に戻します。

この「戻す力」を鍛えることこそが、集中練習の重要な目的なんです。

1日3分だけでもかまいませんが、思い出したとき、3分ぐらいなら時間が取れるというときには、是非このエクササイズをやってみてください。

そして1か月、2か月、3か月と続けます。続けていくうちに、「戻す力」が強くなって、集中力という「体力」がついてきます。

その体力で、イヤな人のこと、嫌いな人のことを、その人が自分に対してどう思っているか、どう考えているかを想像してください。

これで十分想像できたと思っても、さらにその人と接することで、その想像をさらにバージョンアップしていってください。

そして、もしできるようなら、あなたが想像したその人の思い・考えが本当に正しいかどうか、実地に、その人に話してみて確認してみてください。

もしそれができたなら、あなたはすでにその人のことを、嫌いでもないし、苦手でもなくっているかもしれません。

そしてもちろん、それまでのあなたをイライラさせていた原因は、消えてなくなっています。

もしかすると、これほど確実なアンガーマネジメントもないのかもしれません。

 

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)

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