全ては共存のため

人類には知性が与えられていて、言語があり、抽象的な思考ができ、複雑なシステムを生み出すこともできるんですが、それら「他の動物とは異なるもの」が与えられているのはなぜか、それを一言でいえば「共存の原理」に生きているからであり、「共存の原理」でしか生きられないようにできているからです。

生物学的にも社会学的にも、そして脳科学でも、すでにそのような結論がはっきりと出ています。

「人生は闘争の代名詞だ」という言葉をかのチャールズ・チャップリンが遺していますが、じゃあやっぱり、生きることは戦いなんじゃないかと考えてしまうのは早とちりです。

「戦わなければ生きられない」ということも、もちろんまったくないとは言えません。

企業が競争に勝つことでそのグループにいる人々を豊かにするように、家族も経済的な競争からまったく無縁でいることはできませんから、そこには個人間の競争というものが確かに存在します。

しかしそうした競争も、つきつめれば共存のためなんです。

個人が競争しなければならないのは、自分の家族や自分の属するグループが安心して生きられるようにするためです。それをまったくの自分個人のためと考えて競争に挑んだ場合は共存を一切排除することになりますから、他者という他者の存在を否定してでも競争に勝つための最も手っ取り早い方法は殺戮や掠奪などの犯罪行為だということになるでしょう。

他者を否定しての競争というのは、私たちには馴染まないどころか、そんなことをすれば社会から排除されて居場所を失ってしまうだけなんです。

科学的にもちゃんと証拠があって結論が出ているのが「共存」ですから、まず何よりも前提とし、基本とするべきは、身近な人々と共に生きることであって、身近な人々の存在を積極的に肯定することです。

哲学的な言い回しで「人の存在を積極的に肯定する」というが「愛」の定義だとすれば、「共存の原理」とは「愛の原理」だともいえるでしょう。

すべての前提、すべての基本は「他者の肯定」であって、その反対にあるのが「自分だけを肯定すること」ということになります。

人生に行き詰まって悩みの淵に沈んだり、精神を病んだりする原因になるものも、その人自身が「自分だけを肯定」しようとしたり、その人の命運を握る立場にある人が「自分だけを肯定」して苦しむその人を顧みないというような状況にある場合です。

このような話を聞いて、こんなふうに考える人もいるかもしれません。つまり・・

「しょせんはみんな自分のことしか考えられないんだよ。それぞれひとりひとりが自分のことだけ優先で考えて生きればいいし、そこに衝突があるようならその都度妥協できるところを見つければいいじゃないか。最初から “人のため” なんてあり得ない」

このような考え方が出てくるのは、「白なのか黒なのか選択肢は二つのうち一つだ」という、いわゆる「二元論」で考えているからかもしれません。

日ごろは常に「自分優先」で徹底し、他人のことは一切考えないというような生き方は、いくら二元論でそれを選んだとしても、おそらくできない生き方です。現実に「自分優先」を徹底すればするほど、生きづらくなるのは明らかだからです。

「生きづらい生き方をするよりも楽な生き方をしたい」というのが異論がない生き方のはずですから、「楽に生きる」「上手に生きる」ための方法を模索していけば、究極にあるのが「共存」を前提にした生き方になるはずです。

Akira Okitsu
【興津諦プロフィール】語学教育、異文化理解、グラフィックデザイン、翻訳、出版など、多様なコミュニケーション業務にプロとして携わる一方、1994年『言語』誌(大修館書店)において、時制や相にも表れる “言語の根本原理” の存在を言語学史上初めて指摘。その後も “無意識のエキスパート” として、クライアント・相談者に多面的なアドバイスをおこなっている。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒。アドマック株式会社代表取締役。アンガーマネジメント静岡研究所所長。日本認知科学会会員。1960年6月静岡市生まれ。 【著書・著作】 ■『日本語入門 〜The Primer of Japanese〜』(1993年) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 〜みんなが知りたかったパングラムの全て〜』(1998年 新風舎出版賞受賞) ■『パーミストリー 〜人を生かす意志の話〜』(2013年) ■『日本語の迷信、日本語の真実』(2013年) ■ 『余ハ此處ニ居ル 〜すんぷ特別版〜』(2015年)■ 『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011〜2012年SBSラジオ)

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