自分が正しくても譲る力

なにがなんでも思い通りにしたい。自分はこうと決めたのであって、反対意見は認めない。父はそんな性格でした。

今年の正月、父と伯母(父の姉)の家に行ったときの帰り際、「良一、あんたは姉さん二人、妹二人の女ばかりで育って何でも思い通りにしてきたから人の言うことを聞かないようになったんだよ。老いては子に従えだよ。息子の言うことは聞くんだよ」自分より3つ年上の姉からそう言われた我が父は表情を固くしたまま黙っていました。

それから2月下旬、3月と過ぎ、父の抗がん治療は副作用を強くしていき、4月12日には帰らぬ人となってしまいましたが、4月になったばかりのころ、病室で、長男である私の「言うことを聞くよ」と寂しそうに漏らしたのは死期を悟ったからだったのでしょう。

全て自分が決める。それが当然と信じてきた父も、三男である私の弟が交通事故に遭い亡くなったころには、自分で決めかねる選択を迫られる度に私に助言を求め、その助言に従うということがありましたが、それ以外は全て自分で決めてきています。

教務主任を務めていた日本語学校が廃校になって私が失業手当をもらっていたころ、またデザインの仕事もやらざるを得ないということになってコンピューターを購入したんですが、誰から何を聞いてきたのか、父が費用を出すわけでもないのにコンピューターを買うことには強く反対しことさえあります。

思えば父子として人間関係を続けてきた60年間のほとんどが反目関係で、信頼関係を実感したのはごく稀なことでした。

父は先祖から受け継いだ広い土地を若いころから自分のものとして自由に使ってきました。責任感が強かったのでどの土地も放置することなく、毎日休みなく働き通しで、誰もが認める働き者でしたから、私たち子供は自分の進みたい道を進ませてもらうことができました。

私も父には感謝していますが、その生き方、父の人生を、できればもっと楽な方へと修正してやりたかったとも思います。たとえ一家庭のことであっても、家長なり一人が全ての決定権をもって譲らないというのは、家長本人だけでなく、その家族も大きなリスクを負い、不幸と隣り合わせでいなければならなくなってしまいます。

父のそんな性格を生んだのは、伝統的な家父長制度で濃縮を繰り返してきた遺伝子だったんだろうと思います。性格というものは自分で選んで身につけるものではなく、好きでも嫌いでも持たされてしまうもの、自分では絶対に選べないものですから、父のそんな性格をもって父の存在そのものを嫌ったり否定したりすることはできません。持たされてしまった性格は、それで幸福に向かう力になることもありますが、逆に不幸に向かってしまう原因になることもあるわけです。

常に正しい決定、正しい判断が続いて失敗がないというならそれで良いのかもしれませんが、そんなに完璧な人間はいません。どんなに完璧を目指そうと努力し、苦労をしたところで、誰でも大小たくさんの間違いを犯します。あの大天才アインシュタインでさえ大きな間違いを正しいと主張したことがあるくらいです。人間というのは誰でも間違いを犯すものなのです。

亡父にとっては、全てを自分が決めるという意志、意地、責任感、固執、決して譲らない闘争心‥‥のいずれもが強すぎたこと、それが不幸のもとだったんだろうと思えてなりません。

もっと家族に任せるべきだったと思うのです。自分から見ると自分より劣った判断能力しか持ち合わせていないと思えるような家族であったとしても、自分の思いや考えよりも、家族一人ひとりの心を尊重することの方がはるかに大事であるはずです。

信頼されること、任せてもらえることによって、脳の報酬系が活性化し、満足感が得られます。それを積み重ねて人として成長し、より良い人間関係を築く力を身に着けていきます。

仕事を人に任せられないということについては、かくいう私も父の遺伝子を受け継いでしまったために苦しい人生を歩んでいますが、それでは苦しいことになり、幸福には近づかないのだということだけは、少なくともわかるようになりました。反面教師としての、父のおかげと感謝しています。

いくら自分が正しくても譲ることができる。そういう人でいたいものです。誰でもできることですし、それが幸福への近道でもあるからです。

Akira Okitsu
1960年6月静岡市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。語学教育と教員指導の経験から、脳科学・心理学・言語学からなる認知科学の研究を始め、1994年言語学専門誌『言語』(大修館書店)にて、無意識下で「(見え)る/(見え)た」などの語形を決定する認識の根本原理の存在を言語学史上初めて指摘する。認知科学の知見を実用化して、アンガーマネジメント・メンタルトレーニングプログラムの開発、観光振興関連コンテンツの開発を行っている。アドマック株式会社代表。日本認知科学会会員。 【著書・著作】 ■『日本語入門 The Primer of Japanese』(1993年富士国際日本語学院・日本語ブックセンター創学社) ■『新しい日本語文法』(大修館書店『言語』1994年12月号) ■『夢色葉歌 ─ みんなが知りたかったパングラムの全て』(1998年新風舎出版賞受賞) ■『興津諦のワンポイントチャイニーズ』(2011年〜2012年SBS静岡放送ラジオ) ■『パーミストリー ─ 人を生かす意志の話』(2013年アドマック出版) ■『日本語の迷信、日本語の真実 ─ 本当の意味は主観にあった』(2013年アドマック出版) ■『余ハ此處ニ居ル ─ 家康公は久能にあり』(2019年静岡新聞社)
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